副題「戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか」、中央経済社、2021年。寿命の短かった時代における企業のありかたから、コロナ禍以降の企業のありかたを考える。今になってみると、コロナ禍が与えた影響は限定的で、本書のその枠組みは先走りすぎていたかもしれないが、社会史の本として充実した内容で、再読・参照に値する。

序章 「死」が身近にある社会
第1章 「死」と労務管理
第2章 労務管理の変化と「東洋の魔女」の誕生
第3章 「死の影」の下での消費者―三越・主婦の友・生協はなぜ誕生したのか
第4章 企業と株主の関係―短期志向にいかに対応するのか
第5章 「死の影」の下での企業
第6章 企業に閉じ込められないために
終章 「コロナ後」の経営

死が身近な社会における労働者・消費者・株主の行動様式をそれぞれ検討。

「いささかラフな想定だが、「死」が身近な社会において予想される労務管理の方向性は2つである。A 一般の労働者も含む広い範囲に生活・衛生環境の改善を行い、労働者の定着を促進し、その結果として人的資本の蓄積に結びつける。場合によっては、労働節約型の投資が並行する可能性がある。B 一般の労働者については生活・衛生環境等の改善のための投資を行う可能性がある」(24)。こうした労務管理の方向性に対する労働者の反応もまた、彼/彼女自身の「死」への感じ方によって左右される。

スポーツ論としても興味をもった箇所、もともとバレーは、アメリカでも女子労働者のレクリエーションとして開発され、日本にも導入されたと(新雅史『「東洋の魔女」論』)。そうした位置づけを変える転換をもたらしたのが、日紡貝塚の「東洋の魔女」であったと。で、「東洋の魔女」の選手たちは実際には高卒であって、実際には中卒が主であった日紡貝塚の現場で働く労働者とはちがいがあったと。両者に一体感を生むためには、大松監督による同情を買うほどの厳しい練習が必要であったとな(54-55)。なるほど。

企業と死。
企業は、個人の死や病気に左右されないためのしかけだとも言える(100-101、→ 高橋伸夫『経営の再生』)。「事業が少数の個人に依存している場合には、死の影はその事業に将来の不確実性をもたらすのである」(101)。それは、労働者の採用にも、投資家の行動にも、また消費者に対しても負の影響を及ぼしうる。「そのような事業の消滅や縮小の可能性は死の影の下で労働者の生活・衛生環境の向上や消費者との間でのネットワークの構築、あるいは投資家との共存を難しくするのである」(103)。「死の影の下では、企業は個人の死や病気と事業を切り離すという意義を持つ」(103)。

時期ごとの「会社の寿命」の表なども興味深い(106)。1896~1919年のあいだは15~17年しかないのに、1919年以降30年以上に伸びており、1955年以降は50年程度になっている。

「1910年代前半以前のホワイトカラー労働者とは異なり、1920年代の労働者は転職をせず(できず)、企業との長期的関係を保ちながら、企業に依存し、企業のパワーの下で生きていく人々となってしまっていた」(131)。

一方、こうした条件は、社員が自由に意見を言えないイエスマンばかりになり、企業としてもマイナスを抱えることにもなるという。「労働者が非合理的な命令であっても従わざるを得ないのであれば、命令を発する上司はその命令が十分に合理的であるかどうかを考えることなく命令を発してしまう。・・・・・・この意味でも、個人が企業に対抗できるようにすること、すなわち連帯の機会を与え、また企業から離脱できるような可能性を与えることは重要なのである」(147)。

[J0658/260426]