副題「その正体を探る」、講談社現代新書、2019年。著者は染色体外因子の研究者とのこと、本書はたしかに読みやすい。

第1話 デルフォイの神託
第2話 分からないこと
第3話 消える魔球
第4話 無限と有限
第5話 科学と似非科学
第6話 科学は生きている
第7話 科学と非科学のはざまで
第8話 ドイツの滑空王
第9話 リスクととともに
第10話 アフリカ象と大学人
第11話 「無駄」と科学
第12話 閉じられたこと
第13話 この世に「形」を生み出すこと
第14話 確率の話

社会に「神託」を下す装置としての「科学」と、この世の法則や真理を追究する〈科学〉という、「科学が持つ二つの顔」。
「批判を承知で単純化して言えば、科学には実の性格の異なった二つのものがあるのだ。一つはこの世の真理を求め、単純化された条件下で100%正しいような法則を追い求めるもの。そしてもう一つは元来〝100%の正しさ〟などあり得ない、茶々を前提とした、より現実的なものである。このかなり性格の異なった二つのものが、「科学」という名の下でごっちゃになっている。特に前者の「科学」が持つ、この世界の真理や真実を解き明かしていくというイメージは、あたかもその対象が何であっても「正しい」ことと「正しくない」ことを判定し、明確な回答を与えてくれるような期待を抱かせる。しかし、実情を言えば、一般に思われているより遙かに多くの「科学」が後者のグループに属している。特に、人の生活に密接に関連するような話は、ほとんどがそうである。つまり「100%の正しさ」など元々ない」(56)。

本書全体として、厳密な根拠をもった科学の世界の限界を述べるにはとどまらず、前進運動としての科学は、そうした狭い世界に充足していては成り立たない、そこには「人間の意志」が必要という洞察があるところに好感。

エピローグでは、おばあちゃんの骨壺がカタカタいったエピソードが紹介されていたり。
「もちろん「偶然の連続」に安易に〝意味〟を与えてしまうことは、人間特有の「誤謬」なのかも知れない。しかし、その「誤謬」をまったく拒否する生き方は、〝この世に起こったこと〟というものを、あまりに粗末に扱っている行為であるようにも思う。科学も非科学も飛び越えて、この世に生きる勇気を与えてくれるのは、人の心にあるそんな「物語の力」ではないのだろうか。多くの科学者が見つけた真実も、実は最初からそれが真実だと分かっていた訳ではない」(183)。

[J0690/260818]