青土社、2006年。絵はがきのなかの風景、絵はがきを作り売った人、絵はがきに文章をしたためる人、それを受けとった人、さらにそれを飾った人。絵はがきの世界のこちらをのぞき、あちらをのぞく著者の手にかかると、魅力ある迷宮の中にいるようだ。たんなる絵はがきコレクターにも、生真面目な研究者にも書くことのできない、そんな一冊。2020年には増補新版も出ている。

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旅する絵はがき
アルプスからの挨拶
セルロイドエイジ
一枚の中の二枚
カードとディスプレイ
ミカドとゲイシャの国
カール・ルイスの手紙
画鋲の穴

なにか要約するような種類の本ではないが、ちょっと考えたい箇所を一箇所だけ引用。
「飛躍しよう。書くという行為は、単に既知のできごとを表わすためにここまで多様な形に広がったのではない。それはおそらく、贈与の行為として人々のあいだに広まったのである。でなければ、書くという行為が、なぜ執拗に宛先人の不在を必要とするのかを説明することができない。そしてエクリチュールこそは、謎をかけるにもっとも適した贈り物だった。品物の珍しさよりは、そこに引っ掻かれたように残る軌跡こそが、わたしの行為の痕跡をあざやかに指し示し、わたしを想起させる。わたしは単に目の前の誰かのために書くのではない。ここにいない誰かのために何かを用意することこそが、わたしを熱狂させ、わたしの筆を走らせる。だからこそあなたはここに居てはいけない。あなたが不在であるあいだだけ、わたしはこの文章を書き続けることができる。ロラン・バルトが言うように、告げ知らせる相手のない文章というものは存在しない。しかしいっぽうで、わたしは告げ知らせる相手を目の前にして書くことができない。だからわたしは、あなたがここにいないということを告げ知らせるために書くのだ」(118)。

パラフレーズしてみてみると、書くことは相手への秘密をともなっており、相手へのサプライズをふくむ行為だということ。さて、生成AIがはきだす文章は、こうした書くことの性格を備えているかどうか。

[J0650/260320]