副題「「見せる」「見られる」のはざま」、新泉社、2025年。
これは良い仕事。世間に知られている表象が社会的に構築されたものだという見方は人文学者には当たり前でも、一般常識にまでは浸透しにくい。また、たんに構築されたものにすぎないと切り捨てる種類の構築主義にもまた、問題がある。そんななかで本書は、写真という具体的・視覚的なメディアを扱うことで説得力とバランスを備えた実践例たりえているのでは。直接触れてはいないが、ウポポイや『ゴールデンカムイ』のアイヌ描写を批判的に捉える手がかりにもなる。

プロローグ 写された側の歴史へ
第1章 最古級の写真群:一九世紀後半
第2章 写されなかった村:「異民族性」による選別と終わりない人種差別
第3章 切り取られ、再現された「固有の風俗」:一九〇〇年代
第4章 「見せる」と「見られる」のはざま:一九一〇年代の三度の熊送り
第5章 押し寄せる旅行者と観光地化をめぐる葛藤:一九二〇~四〇年代
エピローグ 終わることのない「アイヌ史」

あれこれ細かなディティールにも目が行く。落部村のアイヌ、弁開凧次郎は皇太子成婚を祝す小熊献上や八甲田山遭難事件の捜索隊への参加で有名になっただとか。八甲田山の事件は1902年で、白瀬矗の南極探検隊が1910~1912年だから(→佐藤忠悦『南極に立った樺太アイヌ』)同時代といっていい頃か。あるいは、白老を訪ねた人物として柳宗悦の他に式場隆三郎がいたとか。式場はそれでアイヌの俗っぽさを怒ったとかなんとか、あちこちでいっちょ噛みしている。

「最近では「かっこいいアイヌ」や「明るく楽しいアイヌ」といったフレーズがもてはやされ、アイヌはかつてない注目を集めているように見える。こうした動きは、従来のアイヌの歴史に関する叙述が「衰亡史」、「哀史」に閉じこめられてきたことに対するアイヌ当事者からの異議申し立てや、差別の歴史を語ることが子や孫を差別にさらすことになるのではないかという恐れとも奇妙な共鳴を見せている。しかし、和人が圧倒的多数を占める日本社会において、「かっこよさ」や「明るさ」、「楽しさ」という漠然とした言葉による語りは、和人側の基準による換骨奪胎を容易に許すものとなる。「かっこいい」か、「明るく楽しい」かを判定し、それを社会が受容するか否かを決定する力は和人側にのみあるからである。アイヌが語る言葉は瞬く間に和人社会が容易にイメージできるものに置き換えられ、結果としてそこからは歴史の中に生きた人びとのリアルな姿はすっぽりと抜け落ち、あたかも「アイヌ風俗写真」をトレースしたかのようなステレオタイプだけがくり返されることになる。さらに、こうした一見すると肯定的な新たなアイヌイメージの拡散は、和人社会が切り取りつくり上げてきたイメージを再生産し消費し続けることを許す一方で、和人社会にとって不快なものとなりうる加害の歴史や、現在のアイヌをとりまく現実の課題に目を閉ざすことを正当化するものともなってしまっている」(171)。

あとがきより、「いわゆる「アイヌ文化」を「研究者がつくり出した幻想」、「夢想」などと切って捨てたり、「つくられたアイヌ文化」といったセンセーショナルなコピーで否定することも、あってはならないだろう。集められたモノ、写された一枚一枚の写真は、間違いなくその時、その場所に存在した事実のある側面を反映している。そしてそれらは今を生きる一人ひとりのアイヌにとって、先祖にまつわる大切な記憶でもあるからだ。今必要なのは、それらを消滅の寸前で辛うじて救い出された「人類学的な貴重な資料」とみなす視点から脱却し、時代の中のそれぞれの時点におけるアイヌの暮らしの中に位置づけ直していくことにより、「過去」と「現在」、「伝統」と「同化」に二分されてしまったアイヌのイメージを、通時的な変遷として再構成することだ。そうした作業を通じて、人類学的な「標本」として形づくられた静的な「文化」から、一人ひとりの人間が生きた動態としての「歴史」へ、アイヌに対する社会の認知を刷新していかなければならない」(202)。

[J0648/260311]