副題「初期仏典を読みとく」、ちくま新書、2023年。現代の仏教者たちは、現代的な価値観のもとにブッダを解釈し、神格化してきてしまっているのではないかという問題意識から、初期仏典に即してブッダを記述しようとする。ブッダに関する通説を次々に斥けて、すごい勇気と思いながら読んでいたが、「あとがき」をみるとやはり相当に苦労されてきたらしい。聖書学への言及もあるが、教祖の解釈をめぐって、宗教の一般的動態のひとつを描きだしている書でもある。

第1部 ブッダを知る方法
1 ブッダとは何者だったのか
2  初期仏典をどう読むか
第2部 ブッダを疑う
3 ブッダは平和主義者だったのか
4 ブッダは業と輪廻を否定したのか
5 ブッダは階級差別を否定したのか
6 ブッダは男女平等を主張したのか
7 ブッダという男をどう見るか
第3部 ブッダの先駆性
8 仏教誕生の思想背景
9 六師外道とブッダ
10 ブッダの宇宙
11 無我の発見
12 縁起の発見
終章 ブッダという男

「現代の仏教者たちもまた、「歴史のブッダ」を構想しようとするなかで、近現代的な価値観と合致するように、「平和主義者だった」、「業と輪廻を否定した」、「階級差別を否定した」、「男女平等論者だった」と神格化してしまっているのである。ここで我々は、次の事実に気がつく。すなわち、古代から現代にいたるまで、「歴史のブッダ」ではなく、「神話のブッダ」こそが人々から信仰され、歴史に影響を与えてきたということである。・・・・・・逆説的だが、中村元など近現代の一部の研究者が喧伝した〔「迷信」をぬぐいさるなどした〕「歴史のブッダ」は、実は歴史上一度も存在しなかった「神話のブッダ」だったということである」(112)。

「およそ2500年前に生きたブッダという男は、輪廻を当然の前提として受け入れており、この世の貧富や差別、そして理不尽な死の原因は過去世の業(カルマ)であると考えていた。確かにブッダは、当時差別されていた隷民や女性にも出家を認め、彼らにも悟りを得る可能性があると主張した。だが、この主張は、当時のインド思想において決して先駆的なものではなく、類似した考え方がすでに起こっていた」(108-109)。
 なお、仏教が説いた出家や悟りの平等は、「俗の側ではなく聖の側での平等」と言うべきものであったという(90)。

さまざまな論者の解釈やその歴史にも触れた「参考文献」も価値が高い。そういえば、親鸞の「現代的解釈」を扱った本を数冊、ずっと積ん読にしているなあ。

[J0670/260608]