ラーシュ・トーンスタム『老年的超越:歳を重ねる幸福感の世界』冨澤公子、タハカシ・マサミ訳、晃洋書房、2017年。Lars Tornstam はスウェーデンの人で、原著 Gerotranscendence は2005年刊。

第1章 社会老年学にとって新しい理論の必要性
第2章 理論の起源と最初の概要
第3章 老年的超越の質的内容
第4章 量的な実証研究
第5章 実践での老年的超越
第6章 まとめ

「みじめ理論」。「私たちの最初の調査報告(Tornstam, 1981)では、高齢者自身が捉える感覚と比較すると、若い人の方が高齢者の課題や現実を過大に問題視していることがわかった。つまり若い人は、高齢者の現実の日常生活をみることなくみじめ理論だけに導かれていたのである」(10)。

「社会全般、白人・西洋中産階級の男性(多数の研究者の出身階層)に基礎づけられた中年期に、特に価値をおく考えの影響によって、概念の記述や理論の選択は、生産性、効率性と自立を強調する(時には隠された)価値が刷り込まれている。私たちは、高齢期には中年期の価値の継続が内包されていると考える。しかし、加齢とともにそれらの重要性は減少するかもしれない」(23-24)。

「基本的に、青年期以降の老年的超越へと向かうプロセスは、一生涯連綿と続いていくものであると仮定することができるだろう。しかしながら実際には、そのプロセスは何かによって妨げられたり、促進させられたりする。例えば、老年的超越へと向かうプロセスは人生の危機によって促進させられることがあり、個人は危機を体験した後に、哲学的なメタ世界観を再構築し、以前の世界観を放棄するようにもなろう。このメタ世界観の構築は、死に直面したり瀕死の病を経験した若者の間にも見られる。・・・・・・ところがまた、老年的超越へと向かうプロセスは妨害されうるとも想定される。たとえば、私たちの文化的な要因は、老年的超越のプロセスを妨害する最も良い例であろう」(41)。

エリクソンの高齢期理解、自我統合という目標と、その不足。「エリクソンモデルは自我統合の内に留まっていて、一方私たちのケースでは、老年的超越に到達するという違いがある。つまり、エリクソン理論のいう自我統合は、過去という同じ世界観の中で起きている後ろ向きの統合プロセスであるが、老年的超越理論というのは、現実を再定義することを含めた、より外向きのプロセスである」(79)。一方、妻のジョアン・エリクソンは、エリックの理論に第九段階を付与してそれを発達させた。

「東洋哲学と上記の議論からの知的な成果として、私たちは基本的なメタ理論を今や以下のように形作ることができる。歳をとること、または生きることに伴う知の成熟というのは、物質的で合理的なものへの執着から、現実の生活満足感の増加を伴う、より宇宙的で超越的なものへの移行と考えられるのである」(42)。

老年的超越に含まれる事柄(43)。時間、空間、対象物に対する認識の再定義/生と死に対する認識の再定義と、死への恐怖の減少/過去や未来の世代との親密なつながりを感じる感覚の増加/表面的な社会相互作用に対する興味の減少/物質的なものへの興味の減少/自己中心性の減少/「瞑想」する時間の増加。

量的調査からは、年代ごとの差異や、男女差の話。

老年的超越の種類(77-78および185-186)。
■ 宇宙的次元
・「時間と幼年期」:時間の定義の変化と幼年期への回帰
・「過去の世代とのつながり」:個人生活より生命の流れ(鎖)が重要に
・「生と死」:死の恐怖がなくなり、あらたな生と死の理解に達する
・「人生の神秘」:人生における神秘を受け入れる
・「悦び」:ささやかな経験、自然の中での経験など、小さな世界を通して大きな世界を経験する悦びを感じるようになる
■ 自己の次元
・「自己対峙」:自分自身の隠れた善と悪の両面を発見する
・「自己中心性の減少」:ただし自己評価が最初から低い場合は自信回復の課題
・「身体的超越の発達」:身体ケアは続くが、それに悩まされない
・「自己超越」:利己主義から利他主義、とくに男性にとっては特別なこと
・「自我統合」:パズルの断片が全体を形成することを認識、静かさと孤高が必要
■ 社会と個人の関係の次元
・「意味の変化と関係の重要性」:より選択的な交際、孤高の時間の必要増大
・「役割の遂行」:自己と役割の違いを理解し、新しい役割の必要を理解
・「解放された無邪気さ」:無邪気さが成熟を促進、社会的慣習を不必要に
・「近代的禁欲主義」:富の重荷を理解し、禁欲という自由を発達させる
・「日常の叡智」:善悪の二元性を超越して、寛容が増加する

「私たちは誰でも老年的超越の「種」を持っているが、成長するには適切な水やりが必要とされる。今日の社会では、おそらく適切な水やりが不足しており、そのことが老年的超越を経験する高齢者が少ないことを意味するのだろう」(78)。

看護スタッフによる解釈の問題にも目を向けているのも重要。
看護スタッフは、老年的超越の徴候を認知症やうつのようにネガティブに捉えがちだが、この概念/理論を知るとそれに納得してケアに当たる姿勢や自分自身の老いに対する見方に変容が生じるという。「加齢において、一貫性と継続性を〝正常〟で絶対的基準と見なすのではなく、変化や不連続性を正常と見なしたのである」(171)。一方、スタッフが理解をしても、「高齢者が望むというより、その親族が高齢者の希望に関わらず、活動が押し付けるという問題」もあるという(177)。

「「人生の満足度」と「社会的活動」の両方は、宇宙的な超越と肯定的に相関する。これは、しばしば誤って指摘されているような老年的超越、特に宇宙的な超越が、“神秘的な離脱による引きこもる”というようなものではないことを示している」(190)。

[J0643/260211]