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J. ボードリヤール『象徴交換と死』

ジャン・ボードリヤール、今村仁司・塚原史訳、ちくま学芸文庫、1992年。底本の翻訳は1982年、原著は1975年。

『消費社会の神話と構造』は、現代社会の同時代的分析であったが、本書は社会の歴史的変容を前提にしている。ただし、前近代社会をモデルにしたり、理想像にするような分析とも一味ちがっている。学説面では、モース、ベンヤミン、マクルーハン、ソシュールあたりの発想が重視され、フロイトやマルクスは批判的に相対化されている。『消費社会の神話と構造』よりずっと難解で、性の話のところや、最後の記号論のところなどほとんど理解できていない(根詰めてまで読んでいないが・・・・・・)。

第1部 生産の終焉
第2部 シミュラークルの領域
第3部 モード、またはコードの夢幻劇
第4部 肉体、または記号の屍体置場
第5部 経済学と死
第6部 神の名の根絶

生産の終焉。記号となった労働。これはマルクス批判でもある。「労働を社会的割当て・反射・モラル・合意・規制・現実原則のごとく再生産することも依然として不可欠なのである。現実原則というのはコードの現実原則であって、それは社会全体に拡がった労働の記号の巨大な儀礼なのである。・・・・・・要求されていることは、人びとを社会化することである」(35)。

「労働はすべてサーヴィスになる――ただそこに居ることがそのまま職業となり、時間を消費し、時間を提供すること、これが労働となる」(49)。

「労働とは緩慢なる死のことである。・・・・・・労働は、延期された死であるから供犠の直接的死と対立する」(95)。「奴隷は殺害の担保から解放されるのだが、何のために解放されるのかといえば、まさに労働のためにである」(96)。

「システムが象徴的お返しを賃金によって買いもどすことで骨抜きにしてしまう」。「搾取される者が労働のなかで搾取者に自分の死を返そうとしても、搾取者は賃金によってこの返却を悪魔祓いしてしまう」(99)。

注の中で。「贈与は、交換=贈与の名の下に、原始「経済」の特徴とされてしまったが、それと同時に価値法則と経済学の法則はそれにとって替わる原理とされた。これほど悪いごまかしはない。贈与はわれわれの神話であり、われわれの唯物論的神話と相関する観念論的神話である」(115)。

神話、とくに起源と終末に関する神話の終焉。なお、この箇所ではないが、ボードリヤールは本書でも「世俗化」という表現を数回用いている。
「無限に複製されるという事実において、システムはその起源にかんする神話と、システムがその固有の過程にしたがって分泌してきたすべての準拠的価値に終止符を打つことになる。そして、こうした神話に終止符を打つことによって、システムは内的諸矛盾を棚上げにし(もはや現実も、現実と対決する準拠枠も存在しない)、その結果、システムの最期についての革命という神話さえも終焉させてしまう。・・・・・・資本が資本自身の神話、あるいはむしろ非決定論的で偶然に支配される機械、すなわち社会の遺伝情報コードのようなものになってしまうと、資本はもはや決定論の側には逆転の機会を二度と与えない。これこそは、資本の真の暴力である」(144)。

「選挙制度は、とにかく社会的交換がひとつの答えの獲得に矮小化されてしまう最初の巨大な制度である。この答えという信号の単純化のおかげで、選挙制度はまっ先に世界中に広がっていった制度だ。普通選挙は、最初に出現したマス・メディアである」(155)。そして、経済も政治もシミュラークルの領域へ。

現代の「消費の祭り」はポトラッチではない。機能的浪費は象徴的破壊ではない(229)。「〔モードが提供するところの〕モデルの存在するところにはどこでも、価値法則が押しつけられ、記号による抑圧と記号そのものの抑圧がおこなわれている。だからこそ、象徴的儀式とモードの記号との間には根源的な差異が存在するのである。・・・・・・未開社会では、記号は、裏の世界も、無意識ももたず(無意識とは、共示的意味作用や合理化の作用のうちで、最後に登場する、いちばん巧妙な作用なのだ)、幻覚、つまり現実のまぼろしを伴わずに、交換される。だから、未開社会の記号は、現代社会の記号とは、何の共通点ももたない」(230)。

「衣服と肉体の対立」(234)。「肉体の生産、死の生産、記号の生産、商品の生産――それらは同一のシステムの、さまざまな様態にすぎない。・・・・・・労働者が、搾取と現実原則に支配されて、自分自身から生きながら切り離されているとすれば、女性の方も、美と快感原則に支配されて、自分自身と自分の肉体から、生きながら切り離れているのだ!」(237)。

「われわれは、死を生物=人類学的法則の方へおし戻し、死に科学の特典を与え、死を個人的運命として自立化されることで、死を脱社会化してしまった。・・・・・・彼ら〔未開人〕は決して死を「自然化」しなかった。彼らは死が(肉体や自然的出来事と同じく)ひとつの社会関係であり、死の定義が社会的であることを知っている。その点で、彼らはわれわれよりもはるかに「唯物論者」である」(315-316)。

「近親相姦の禁止は生者たちの同盟の基礎になっている。加入儀礼は生者と死者との同盟の基礎になっている。このことがわれわれと未開人とを分かつ根本的事実である。交換は生命とともに終わりはしないからである。象徴交換は、生者と生者の間でも、死者にたいしても(石や獣にたいしても)停止することはない。それは絶対的な掟である。義務と相互性は侵すべからざるものである。何びとも、誰にたいしても、何についても、それを裏切ることはできない。さもなくば死刑だ。さらに死とは象徴交換の循環から除去されることにほかならない(マルセル・モース「集合体により示唆された死の観念の個人にたいする肉体的効果」)」(322)。

「〔現代人の〕ばかげた自由論だけが、われわれが象徴交換を免れていると主張することができる。負債は普遍的でとだえることはない。われわれは、獲得したこの「自由」とひきかえに何かで「返済」しつくすことは決してない」(322)。「〔フロイトが述べたところの〕無意識は、死が象徴過程(交換、儀礼)から経済過程(贖い、労働、負債、個人)へとさまざまなに歪められるなかで全面的に生ずる。そこから享受の面で途方もない相異が生まれる。われわれは、憂うつ症状の死者たちと取引する。未開人は、儀礼と祝祭のおかげで死者たちとともに生きる」(322-323)。

人食=カニバリズムの風習について。「食われる者はつねに価値のある者であって、誰でも食うわけではない。ひとを食うことは、つねに敬意の徴(しるし)であり、だからこそそのひとは聖なるものになる。われわれ〔「西欧人」〕は、自分が食うものを軽べつし、軽べつするものしか食うことができない。すなわち死んだものとか、動物であれ植物であれ生物学的同化に適した生命のないものだけを食う」(329)。
・・・・・・な、なるほどなあ。

「死の条件の普遍態としての死は、死者たちの社会的差別が生じて以降に初めて実在する。死の制度は、彼岸の生と不死の制度と同じく、司祭層と教会の政治的合理主義の遅ればせの勝利である。死の想像的領域を管理することに、司祭や教会の権力の基礎がある。宗教的彼岸の生の消滅はどうかといえば、それは、国家の政治的合理主義の――時代をずっと下った――成果である。彼岸の生が「唯物論的」理性の進歩の前に消え去るのは、ごく単純なことで、それが〔現実の〕生そのもののなかに移行したからだ。国家権力の基礎は、生を客観的な彼岸の生として管理することにある。この管理は協会よりもずっと強力なものだ。彼岸の想像界ではなくて、この生そのものの想像界の上でこそ、国家とその抽象的権力は強大になる。国家は、世俗化された死、社会的なものの超越に依拠し、国家の力は国家が体現する死の抽象から由来する。医学が屍体の管理であるのと同じく、国家も社会体の死せる身体の管理である」(342-343)。
 かなり凝縮された記述。マルクス左派的な思想を展開したもののようにもみえる。

「キリスト教的で封建的な伝統的共同体がブルジョワ的理性と生まれたばかりの政治経済体制によって解体されるにつれて、死はもはや人びとに共有されなくなる。・・・・・・これを境に、死の強迫観念と蓄積によって死をなくそうとする意志が経済学の合理性の基本的動力となる。それが価値の蓄積であり、とくに価値の線条的無限の終わりへと死を延期するといった幻覚にとらえわれて時間を価値として蓄積することである。人格の永遠性をもはや信じない人びとですら、複利的資本を信ずるように時間の無限を信ずる」(346)。

「社会的管理のもうひとつの形態は、この世での生とあの世での生、つまり安全保障をたてにとるゆすりの形をとる。それは今日はどこにでも見られるもので、「安全保障の力」は生命保険や社会保障から警察機動隊を経て自動車の安全ベルトにまでひろがっている」(412-413)。
「死は物質的生産のなかで決定的な形で世俗化されてしまった。そしてまさにそこでこそ死は資本と同様に拡大再生産されるのである。・・・・・・資本は、死の生産で生きながらえているので、安全保障を生産する機会に恵まれている。それは同じことなのだ。エコロジーが公害の産業的延長であるのとまったく同じように、安全保障は死の産業的延長である」(415)。
 なお、本書の別のところには、フーコーにも言及した箇所もある。

「未開人が死者を記号ぜめにするのは、死者をできるだけ早く死者の地位へと移すためである――崩れゆく肉体がちょうど証言しているような死者と生者との間のどっちつかずの状態をのりこえさせるためである。死者に生者のふりをさせることなど問題にならない。未開人は死者を死者らしくさせる。なぜならこのような代価を払ってこそ、死者たちは再びパートナーとなり、彼らの記号を交換することができるからである。〔現代西欧の〕葬儀場の筋立てはまったく逆である。死者に生きているふりをさせ、生命の自然らしさを保つことに腐心している。・・・・・・生の虚飾で偽造され理想化された死だ。生は自然的で死は反自然的であるというのが、そこに隠されている思想である。だから死を自然化し、死を剥製にして生の模造品にかえなくてはならないわけである」(421)。

「スイス人の女性ロス」すなわちキューブラー=ロスへの辛辣な言及も。彼女による瀕死の病人との対話の試みを評して、「これこそ人間科学や心理社会学の新交霊術である」と(425)。

先に述べたとおり、一読しただけで不明な箇所もたくさんあるのだが、一読したかぎりの印象による筋書きを。(これをまた本文に当たって検証する作業が必要): 現代(西洋)社会は、死者を「現実」から排除することで成立している政治経済体制を本質としている。もっとも、その「現実」は、まさに死者や死を排除することによって成立している種類の区分である。(本書にいう)未開社会では、そうした「現実」を生きているわけではなく、生者と死者とが別種の存在としてあり、交流(象徴交換)することができる。現代社会では、そのように死者の地位が確立していない、あるいは確立することを忌避しているため、かえって「無意識」が意識にまとわりつくように、死が生の領域に影としてつきまとっている。実際、フロイトの精神分析は、こうした現代の社会体制の記述以上のものではない。悪いことには、そうした影としての死が、社会を動かす上で不可欠の資本として動員されており、無限に回転すると想定されている資本に従属した労働や生産の形態、もはやそうした資本の一表現でしかない労働や生産の形態を支えているのだ。この意味で、労働や生産に資本よりも先だった実質的な価値を認めるマルクスの理論は、現代ではもはや有効ではない。いまあるのは、生産ではなく再生産である。

[J0663/260507]

上村正裕「私荷前と追善」

副題「平安貴族社会の「家」秩序寸描」、岩下哲典・東洋大学人間科学総合研究所編『研究論集 歴史のなかの「しにぎわ」と死後』、戎光祥出版、2025年、50~77頁。

「私荷前(わたくしののさき)」とは、毎年12月に陵墓に派遣され幣物を奉献する公的な荷前にたいして、貴族が私的に実施する追善の営みのこと。本論文は、この私荷前の記録から平安貴族社会の「家」秩序の様子をたどる。この論文が依拠している先行研究は、服早苗論文(『家成立史の研究』)で、著者自身は、摂関期における氏と家は併存する存在だと位置づけているという。

本論文では、藤原氏一族による木幡参詣や、浄妙寺への強訴の様子を史料からたどっている。

本書に言及されている論文のうち、気になるものをメモ。
林屋辰三郎「藤原道長の浄妙寺について」(『古代国家の解体』所収)
堅田修「藤原道長の浄妙寺」(『日本古代寺院史の研究』所収)
西山恵子「藤原氏と浄妙寺」(『京都市歴史資料館紀要』10)
黒羽亮太「円融寺と浄妙寺」(『日本史研究』633)
小林理恵「平安期の墓参に関する一考察」(『奈良女子大学大学院人間文化研究科年報』)
森浩一編『日本文化の探究 墓地』
山田邦和「平安時代前期の陵墓選地」(角田文衛監修・財団法人古代学協会編『仁明朝史の研究』)

[J0662/260507]

似鳥雄一『税と権力』

副題「中世人はどうして税を払うのか」、早稲田新書、2025年。
中世後期の荘園の変化という、従来注目されてこなかった領域を解説。中国人としては、東寺百合文書にあらわれる新見荘の話がよく出てくるのも嬉しい。そしてまた、中世の税管理すなわち荘園管理では、神仏の存在も大きかったという。

はじめに―税の論理は時代を超える
第一章 荘園とは何か
第二章 課税する論理、納税する論理
第三章 中世人の生存競争―税をめぐる現場のトラブル
第四章 中世社会の変質と税―南北朝の動乱から室町の平和へ
第五章 終わる荘園制―税の論理のゆくえ
おわりに―税の見返りに求めるべきは…

「中世は(というよりも前近代を通じてのことだろうが」厳然たる身分社会である。身分とは、つねに上位者から下位者とへ与えられるものであり、身分の制約に大きく依存することで社会秩序が維持されている。しかし、下位者は上位者に対して一方的に献身するだけだったわけではない。少なくとも中世には、無償の忠誠などという片務的なものは存在しなかったと考えた方がよい。そして、それは武士だけにあてはまることではなく、百姓の「奉公」や「忠勤」もまたしかりである。いざというときに安堵を回復・保全してくれるならば、公平・公益のためという領主の課税に応じねばならないという姿勢を百姓はみせていた」(101-102)。

鎌倉幕府を滅ぼした、後醍醐による建武政権の影響。
「幕府の滅亡により、最後まで幕府に与した人々が有していた荘園関係のポストは空席になった。そのなかでも多数を占めたはずの得宗領は、先述のとおり明義としては得宗家が地頭でも、実態はもはや領主と同然になっており、その新しい獲得者は武士に限らなかった。たとえば東寺は新見荘や太良荘で、あるいは小槻氏は若狭国国富荘(福井県小浜市)で、いずれもそれまで務めてきた領家の地位に加えて、得宗領となっていた地頭をも兼ねることを後醍醐から認められた」(203)。

「室町期になると、いちおうの平和をとりもどしたうえに、南北朝の合一を果たした幕府の地位は上昇する。結果として、将軍家や有力な守護は多くの荘園を獲得した。とくに将軍家は最大級の規模を誇る荘園領主に成長し、荘園の統治構造においても、天皇家を差しおいて名実ともに頂点に立つまでになる。たとえば中世後期になると、第二章で述べた最勝光院のように多くの御願寺が衰微したため、本所が史料に現れない荘園が増えるのだが、将軍家は新たに御願寺を建立してその御願寺に荘園を寄進して、それを財源として先祖の追善仏事を行わせた。将軍家は御願寺を指揮・管理し、御願寺は本所とした荘園を所有するという、中世前期の天皇家でもみられた構図である。将軍家では出家した女性が尼門跡と呼ばれる寺院の住持となり、その寺院が荘園を所有する場合もあった。彼女たちには、天皇家の女院と同じように一族の荘園を管理する役割が期待されていたのである。将軍の御願寺を一つ挙げるとすれば、それは何といっても義満の発願で創建された相国寺(京都市上京区)である」(219-220)。

著者は(というか中世史研究者の常識なのかもしれないが)、応仁の乱のあと、細川政元による将軍の擁廃立事件、明応の政変(1493年)が大きな画期になったのだという。
「こうして荘園制はその保護者を名実ともに失い、戦国期の始まりとともに終わりを迎えた。これはすなわち、いまだ列島各地から荘園が消滅したわけではないものの、もはや荘園制とはいえない社会になったということである。それは、いまだ室町幕府が滅亡したわけではないが、もはや室町期とはいえない時代になったということと似ている。戦国期まで残った荘園も、おおむね距離の遠い荘園から領主への税の納入が途絶えていった」(266)。

[J0661/260506]