副題「日本人の人生観」、法蔵館文庫、2026年、もとは講談社現代新書で1975年。著者といえば、高取正男と『宗教以前』を著した人。関心のある主題だけど、読後感は、今となっては二重の意味で古い、なんなら懐かしい。ひとつは、ときに付会も辞さずに、時代を通じた「日本人的思想」を語る語り口。もうひとつは、そういう語り口をしたくなる、当時の日本社会のあり方。今は昔、昭和は遠くなりにけり。
序論
1 「うき世」研究について
2 「うき世」の歴史(古代~中世)
1 「うき世」意識の萌芽
2 仏教の影響
3 無常観の民衆化
3 「うき世」の歴史(近世~現代)
1 近世庶民の生活意識
2 近代知識人にみる「うき世」
3 流行歌のなかの「うき世」
4 「うき世」の思想
5 「うき世」の哲学
解説 半世紀後の「憂世」に読みなおす(畑中章宏)
筆者も「世俗化」の語を頻繁に使っているが、直接には唐木順三の影響ではないかと推測する。どちらかというと、世俗化をはさんでもなお連続性を強調するのが筆者の立場ではある。
「うき世」思想の歴史を確かめて。
「私がたしかめたかったことはおよそ二つのことであった。一面では、厭世的な「憂世」観が近世に現世肯定的ないし享楽的な「浮世」観へ移行したという歴史的推移があったこと(それは西洋近世の宗教改革に始まるキリスト教の世俗化に対応する日本仏教の世俗化を意味したこと)。他面では、そういう現象的な移行をこえて、そもそも古代・中世における憂世も同時に浮世だったし、近世以後の浮世もまた同時に憂世であるということ。つまり、私の仮説は、憂世と浮世がつねに表裏一体になっているのが日本人一般の「うき世」観である、ということであった」(144)。
著者は、The Twentieth Century (1955) に掲載されたエッセイを指示しているが、調べたところ、どうやら End and Beginning(1981)という遺稿集にあるらしい議論として、フランツ・ボルケナウの文化の類型論があり、死を否認する文化(death -denial)、死を受容する文化(death-acceptance)、死に挑戦する文化(death -defiance ないし transcendence)の三類型が挙げられていると。著者はこれに対して、日本を「死を包み込んでいる文化(death-embracing)」という四番目の類型に位置づける。「私はそれを「死から生へ」の文化と規定するのである」(149)。
[J0691/260821]
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