Month: September 2024

ソシュール『一般言語学講義』

小林英夫訳、岩波書店、1972年改訳版。奥付というか表紙裏の原著の記載によれば、底本は1949年に出版されたものの模様。

■ ラング(言語)/ランガージュ(言語活動)/パロール(言)
 ソシュールがこうした区分を設けるのは、言語学特有の考察対象としてラングを切り出し、定義するためである。ランガージュはまさに言語活動の総体として多様な種類のものを含んでいる。これに対して、ラングは「それじしん全一体であり、分類原理である」とされる(21)。つまり、ひとつの「記号体系」なのである(27-28)。
 一方、パロール(言)は個人における言語の遂行である。しかし、個人は言語を総体として担っているわけでない。したがって、言語学の対象としては、パロールとは区別されるところのラングを想定しなくてはならない。「言語を言から切りはなすことによって、同時に1. 社会的なものを、個人的なものから、2. 本質的なものを、副次的であり・多かれ少なかれ偶然的なものから、きりはなす」(26)。
 ラングという記号体系は「聴取映像が概念と連合する場所」に所在しており、「言語活動の社会的部分であり、個人の外にある部分である」(27)。「それは共同社会の成員のあいだに取りかわされた一種の契約の力によってはじめて存在する」(27)。「言語記号は、本質的に心的でありながら、さればとて抽象的ではない」(28)。「言語は、各人の脳裡に貯蔵された印刻の総和の形をなして、集団のうちに存在する」(33)。
 もう一箇所、別のところから引用。「言語活動〔ランガージュ〕の研究は二つの部門をふくむ:一は、本質的なもので、その対象は言語〔ラング〕である、これは本質において社会的であり、個人とは独立のものである;この研究はもっぱら心的である;他は、二次的のもので、その対象は言語活動の個人的な部分、すなわち発声をもふくめた言〔パロール〕である;これは精神的物理的である」(33)。
 こうしてソシュールは、「社会生活のさなかにおける記号の生を研究するような科学」として「記号学(sémiologie)」という名称を提唱する(29)。それは、社会心理学の一部をなすものだという。記号とは、「つねにあるていど、個人や社会の意志からのがれるもの」でありつつ、同時に「社会的に研究されるべき」なのだとされる(30)。

■ 所記(シニフィエ)と能記(シニフィアン)

 言語記号が「心的実在体」として結ぶのは「ものと名前ではなくて、概念と聴覚映像」である(96)。その聴覚映像は「じゅんすいに物理的である資料的音声ではなくて、そうした音声の心的印刻」であって、この意味で「感覚的」なものだと言われる(96)。ソシュールは、記号が結ぶところのこの概念(concept)と聴覚映像(image acoustique)を、それぞれ「所記(シニフィエ)」と「能記(シニフィアン)」と称する。
 ここから、「言語記号は恣意的である」、すなわち「能記を所記に結びつける紐帯は、恣意的である」という「第一原理」が導かれる(98)。言語の恣意性については、『言語の生』(1875年)の著者 Whitney がそれを指摘していたそうだが、しかし彼はその議論を徹底させなかったとソシュールはみている(108)。
 第二原理は、次のように説明されている。「能記は、聴取的性質のものであるから、時間のなかにのみ展開し、その諸特質を時間に仰いでいる:a)それは拡がりを表わす、そして b)この拡がりはただ一つの次元において測定可能である:すなわち線である」(101)。
 もう一点メモ、ソシュールは、言語社会からみた言語を「遺産」として捉える。「じつは、どんな社会も、先立つ世代から相続し・そのまま受けとるべき所産として以外の言語を知らず、また知ったためしもない。言語活動の起原問題が、一般世人の思うほど重要性をもたないのは、そのためである。それは提起すべき問題でさえない;言語学の唯一の現実的対象は、既成特有語の正常・規則的な生である」(103)

 個人的には、ソシュールの議論は、言語の有する社会的性格にアプローチする上で、示唆に富むもののように見える。読む価値・読み直す価値はばりばりある。ソシュールは、言語や記号を「聴取映像が概念と連合する場所」とし、それを「心的」な現象(でもある)と表現しているが、この辺の事情ないし概念は、さらなる精査の余地がある。
 記号論ブーム全盛の頃、日本における代表的なソシュールの紹介は丸山圭三郎によるもので、僕も『言語と無意識』あたりは読んだ気がするが、うろおぼえの印象論では、「意識の深層」を問題にした丸山の議論と、この講義録とのあいだにはだいぶ距離があるような気がする。あくまで丸山の解釈は丸山の解釈、という感じ。もう内容はほぼ、忘れているのだが。
 ソシュールの言語観はね、これ、ルソーやデュルケームの系譜の上に置けると思いますよ。僕の思いつきでは。すでにそういう論考があるなら読んでみたい。

[J0513/240919]

『稿本 天理教教祖伝』

天理市を訪ねる機会があったので、本部近くの本屋さんで購入して読んでみる。もちろん天理ラーメンも食べました。天理市というあれだけの街を作った信仰と考えたら、凄い。自分は天理教の知識はないので、以下は、本当にこの伝記を読んだだけの感想。本書は、天理教教会本部名義で編纂され昭和31年に出版された、教団としての正史であって、そういう性格のテキストであることは考慮しておく必要がある。

第一章 月日のやしろ
第二章 生い立ち
第三章 みちすがら
第四章 つとめ場所
第五章 たすけづとめ
第六章 ぢば定め
第七章 ふしから芽が出る
第八章 親心
第九章 御苦労
第十章 扉ひらいて

「おやさま」と呼ばれている教祖、中山みきは1798年生まれ、1887年(明治20)に亡くなっている。天保9年(1838)40歳ほどのときに、「元の神」(「月日」、天理王命)の啓示が下るが、それまでは浄土教の篤信者であったとのこと。浄土和讃に親しんでいたとの話は、歌という形をとっている、のちの「おふでさき」のことを思い起こさせる。元の神の啓示を受けて「月日のやしろ」となったみきだが、そのきっかけとなったのが、修験者の寄祈祷だったことも興味深い。

みきが「生き神様」として知られるようになったきっかけは、「をびや許し」と呼ばれる安産祈願からとのことだが、とにかくきっかけになっているのは病気治しで、病気治しを受けた人が「つとめ」として信心やさらなる人助けに励む、という流れが中心になっている。たしかに、みきの思想には甘露台(天理教本部の中心地)を人類の発祥の地とするコスモロジーが重要な位置を占めていて、ときに世直し的なことを読み込めないこともないが、本書を素直に読むところでは、とにかく徹底しているのは、病気治しを中心とする、信心をつうじた人助けであり、人助けをつうじた信心である。その信心とは、具体的には、「てをどり」や鳴物を必須とする「みかぐらうた」による「おつとめ」である。この伝記のナレーターは、何度も何度も「急(せ)き込む」という表現を用いて、みきが切迫感をもって真の信仰の広がりを求めたように書いているが、本書におけるみき自身の発言だけを追うと、あまりそこまでの感じもしない。官憲による弾圧や拘留も、むしろ淡々粛々と応じている印象。「おふでさき」にもまた目を通そうと思うが、むずかしい理屈は言っていない。

神(天理王命)に対する呼び名は、「(元の)神」から「月日」となり、さらに明治12年からは「をや」(親神)と変遷したそうだ。みきは、生き神様とあがめられ、信者がみきに柏手を打つようなこともあったようだが、自身を「神」と重ねるような言動はない。同時に、「おふでさき」以外にはいちいち神に取り次ぐ、という感じでもなく、みき自身が信者たちと向きあっている印象だ。天理王命が自ら名乗りをあげて啓示をしている場面は、最初の「憑依」のところだけかもしれない。金光教の主神である金神が教祖・金光大神(川手文治郎)の信心を試したときのような場面はなく、みきの考えや言動が親神の思うところとずれたり、みきが親神の考えを解釈しそこねたりする場面の描写はない。「教祖(おやさま)の心は月日の心、月日の心とは親神の心である」(164)。神の性格をあれこれ記述するようなこともなく、メッセージはもっぱら信者のふるまいに向けられている。それだけに、逆に天理王命には(神なのだから本来おかしな表現だが)人格としての存在は薄く、あくまでみきを通じ、その働きをもって信者たちに存在を示している。

明治8年の「おふでさき」のようだが、「つとめの手」として、臨機応変的な「よろづたすけ」に加えて、12種類の願いに応じた「つとめの手」として、をびや(出産)、ほふそ(疱瘡)、一子(少産?)、跛(身体障害)、肥(豊作)、萠え出(出芽)、虫払い(害虫)、雨乞、雨あずけ、みのり、むほん(不和?)が列挙されていて、みきが気を配った当時の人々の願いの様子が知られる。

人生の終盤は、明治政府による監視の下、官憲による取り締まりとの闘いが多くを占めている。興味深いのは、取り締まりやみき自身を含めた留置・拘留が続くなか、公的な許可を得たり、教会を立てることに、「律が恐いか、神が恐いか」と、みきがずっと反対していることだ。つまり、許可を受けることよりも、たとえ弾圧を受けても「つとめ」を修することに集中せよと主張している。また、孫である初代真柱の眞之亮の話もあまり出てこない。眞之亮が神道本局の許可を取りつけるのは、1888年(明治21)、みき逝去翌年のことである。この辺の事情には、信者の方々の葛藤があるのだろうなと推測する。

奈良で浄土信仰といえば、當麻寺の中将姫がいる。みきの人助けのはじまりは、「をびや許し」すなわちお産の助け。かつて浄土宗に心を寄せたみきの宗教には、女性の助けという性格もあったのかもしれないなどとも空想する。また、天理王命による「守護」について、「自由自在(じゅうようじざい)」という形容が多用される。逆に当時の人々が、生活面でも健康面でも、自由自在にほど遠かったことを、これまた空想する。

なおこの伝記は、天理教研究所のサイトからもその全文を読むことができる。

[J0511/240916]

藤高和輝『バトラー入門』

ちくま新書、2024年。「引用――誰を、何を、どのように引用するのか――は決して事実中立的な行為ではない。それは政治的な行為なのだ」(257)として、バトラーの理論を、男性哲学者からなる既存の哲学史の文脈の上に置くのではなく、エスター・ニュートン、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、モニク・ウィティッグ、キンバリー・クレンショー、ベル・フックスといった、「勇敢な」論者たちからなるフェミニスト的記憶の系譜から解説する。

プロローグ―『ジェンダー・トラブル』非公式ファンブック
第1章 ブレイブ・ニュートン!
第2章 ジェンダーに「本物」も「偽物」もない!
第3章 ”You make me feel like a natural woman”
第4章 「ジェンダーをなくすんじゃなくて増やそう」って話
第5章 「私たち」って誰!?
第6章 「クィア理論って何?」
エピローグ―“トラブル”の共鳴

フェミニズムからも排除されていたレズビアン。「当時、レズビアンは「男っぽい女」だという偏見が広く共有されていた。いわば、「男性と同一化した」存在と捉えられていたのである。したがって、フリーダンがレズビアンを「ラベンダー色の脅威」と呼んだのは、フェミニズム運動の内部にレズビアンによって「男性文化」が持ち込まれること、あるいは端的にホモフォビア(同性愛嫌悪)があったらだと言える」(35)。

この本を読みながら、そうか、フェミニズムにも、男女区分を前提とした思想や運動と、男女区分自体を問題にする思想や運動があるわけだなと(周回遅れ)。

バトラーの「パフォーマティヴィティ」の解説。それは「ジェンダー・エクスプレッヴ・モデル」と対置される。「一般的に「生来の本質」が「外側」に表出されたものとして考えられがちなジェンダーという「行為」だが、実は、その「行為/パフォーマンス」の反復や積み重ねによって、「内側」にあるとされている「本質(と想定されているもの)」があたかも最初から存在するかのように事後的に作られていく、というのがバトラーの見方だ」(74)。

ジェンダーの演技モデルについて。「ところで、このような「演技モデル」という説明の仕方を、『ジェンダー・トラブル』以降のバトラーは敬遠するようになる。それはこのような説明が多くの誤解を招きがちだったからだ。ひとつに、「演技」や「パフォーマンス」というニュアンスから、「ジェンダーは自由に選択できる」という誤解が生まれてしまった。しかし、それが誤読であること席に引いた引用文からも明らかだろう。実際に、私たちが日々行うジェンダーという行為はむしろ「強いられる」ことのほうが多い。またそれとは逆に、バトラーのジェンダー・パフォーマティヴィティは「決定論」であるという誤解も生まれた。ジェンダーは権力によって強制され、私たちのアイデンティティはそれによって「決定」されるのだという解釈である。いわば、私たちは社会によって強制的に演技をさせられ、私たちの存在はそれによって決定されてしまうというわけだ」(77-78)。続く著者の説明、「演技」とは、台本があって「自由な行為」ではないが、すべてを決定するわけでもない。台本に対する演技はひとそれぞれであり、台本を解釈したり文句を言うこともできるはずだと(78-79)。

このような「演技」「演劇」論批判は、社会学一般における「演技」論や役割理論にも当てはまりそうだ。

あらゆるジェンダーを「ものまね」とする、ドラァグのパフォーマンス。「ドラァグという文化、そしてニュートンのドラァグ・クイーンのエスノグラフィー『マザー・キャンプ』は、バトラーの理論を後押ししただけではなかった。それは、バトラー自身の「生」をエンパワメントするものでもあった」(80)。

「バトラーはブッチ/フェムとドラァグを「ジェンダー・パロディ」として考察していた。もちろん、バトラーにとって、これらの例は、あらゆるジェンダーがパロディの構造をもつということを示すものであって、ブッチ/フェムがそのアイデンティティや生を実際に「パロディ」として生きていると言ったわけではない」(97)。「「生きられているものとしてのジェンダー」に関する問い」。著者が、エスター・ニュートンが引き合いに出して補足するには、「そこで生きられているジェンダーは「パロディとしての自己」ではなく、「真正な自己」「本物の私」という感覚である。そのジェンダーはまさに、彼女らの「土台/基盤(foundation)」を形成しているのだ」(100)。

フェムの「欲望」ないし「好み」の解釈。「ブッチの男性性は「女性の身体」を地=背景にすることでより強調された形で「浮き彫りになる」、ってわけだ。・・・・・・あるいは、その「地」と「図」のあいだのギャップあるいは不連続性、それがエロスを生み出すのだ、と」(92)。

「ニュートンはブッチ/フェムの「目的」が「ジャンダーをなくすこと」ではなく、むしろ「ジェンダーの意味を増やすこと、その意味に磨きをかけること」だと論じている。そして、私の理解では、まさにこのことこそ『ジェンダー・トラブル』を目指したものだった。つまり、『ジェンダー・トラブル』は「ジェンダーをなくすこと」ではなく、「ジェンダーの意味を増やすこと」をこそ目指したものだった、と」(135)。

「「ジェンダーをなくす」という発想は、「いまある権力をなくして、それを超えてしまおう」という発想なのだけれど、バトラーはそのような発想をとらない。それは、「権力」と「その「向こう側」」という対立軸を設定してしまうと、かえって、権力の抑圧形態を強大なものとして固定する発想へとつながってしまうからだった。それに対して、「ジェンダーを増やす」ということは、いまある権力の体制のなかでいろいろな組み合わせのジェンダーを増やして、硬直した「二つのジェンダー」という規範の「自然性」や「自明性」を問うという発想だ」(159-160)。

さらに進めて。「というかさっ、もっと言えば、「ジェンダーを増やす」ってゆうか、そもそも、たくさんのジェンダーが〈いま・ここ〉において具体的な人たちによってすでに現に生きられているのであって、その意味で、「増やす」もなにも、もうすでに「たくさんのジェンダ-」がある」(165)。「このように、バトラーの『ジェンダー・トラブル』は「ジェンダーを増やすこと」を肯定するものだけれど、それは別の言い方をすれば、すでに存在している「たくさんのジェンダー」が「不自然」や「理解不能」とみなされ、社会的に承認されていない現状の「理解可能性」の規範的な枠組みを批判的に解体しつつ、それらのジェンダーが社会的に認められるようにその「理解可能性」を拡張する試みだったとも言える」(167-168)。

[J0510/240907]