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宮本常一『忘れられた日本人』

岩波文庫、1984年、原本は1960年。いわずとしれた名著だが、ちょっと必要があって整理を。ウィキペディアにも情報があるので、今回はそちらを参照。

1 対馬にて:初出1959年。取材1950-51年。長崎県対馬市上県町伊奈。
2 村の寄りあい:初出1959年。
3 名倉談義:書き下ろし。取材1956年。愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村)。
4 子供をさがす:初出1960年。山口県大島郡周防大島町。
5 女の世間:初出1959年。山口県大島郡周防大島町。
6 土佐源氏:初出1959年。取材1941年。高知県高岡郡檮原町。
7 土佐寺川夜話:未発表原稿から。取材1941年。高知県吾川郡いの町寺川。
8 梶田富五郎翁:初出1959年。取材1950年。長崎県対馬市厳原町浅藻。
9 私の祖父:初出1958年。取材は1927年以前。山口県大島郡周防大島町。
10 世間師1:初出1959年。取材は1930年以前。山口県大島郡周防大島町。
11 世間師2:初出1960年。取材1936年。大阪府河内長野市滝畑。
12 文字をもつ伝承者1:初出1960年。取材1939年。島根県邑智郡邑南町(旧田所村)。
13 文字をもつ伝承者2:初出1960年。取材1940年。福島県いわき市平。

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中野卓編著『口述の生活史』

副題「或る女の愛と呪いの日本近代」、御茶の水書房、1977年。1995年に増補版も出版されている。また、中野卓(なかのたかし)については著作集もある。

第1章 松代の生れる前
第2章 私のおいたち
第3章 自助としつけ
第4章 男たち
第5章 「ニイサン」と死んだ子
第6章 満州
第7章 東塚の家と嫁入り
第8章 朝鮮の旅と脱出
第9章 呼松の家で
第10章 昭和50年前後

もともとは、編著者が水島臨海工場地域の公害問題について住民調査を行ったときに、倉敷市呼松で出会った女性だとのこと。「これは明治26年(1893)生まれた或るお婆さんが話してくれた彼女の一生の物語です。瀬戸内海、水島灘に直向う古い干拓地の村に生れ、神戸の町と故郷の村をゆききして育ち、満州や朝鮮に苦難の旅を経たのち、故郷の村から遠からぬ漁港兼回船業の町に嫁し、いまは水島工業地帯の石油化学コンビナートと化した「前の海」に接するその田舎町で、数え年85歳の一人暮しをしているそのお婆さんの話してくださった通りの話であります」(1)。

前半は、満州や朝鮮でのエピソードをはじめ、まさに波乱万丈。
後半、岡山に戻って当時の現在にいたる部分には、先達ないしなかば拝み屋として彼女が信仰している鬼子母神、お稲荷さん、お大師さんの様子が詳細に描かれている。お稲荷さんがのりうつったり(205-)、「イススキさん」(石鉄山前神寺の不動尊)に「叩かれたり」声をきいたり(278-)といったエピソードも。

[J0538/241122]

立岩真也『増補新版 人間の条件 そんなものはない』

新曜社、「よりみちパン!セ」シリーズ、2018年。


1 できなくてなんだ
2 ならどうならよいか・1
3 しかしこの世のしくみ――私たちの社会は変だ
4 でも社会はそうじゃないかという話
5 人は違うものを信じている
6 差は仕方がない、必要だというお話について
7 「機会の平等」というお話がいけてない話
8 むしろ差は大きくなる
9 文句の言い方
10 世界の分け方
11 違いへの応じ方
12 材料も仕事も分ける
補・1 教科書に書いたこと
補・2 三人の人と話してみた
補・3 健康で文化的な最低限度?
本の紹介
終わりに

補足の中に「つよくなくてもやっていける」という、筆者が書いた新聞への寄稿記事があるが、それを読めば思想の骨子はじゅうぶんつかめる。

他、メモ。

「それで考えるに、「搾取」という話はあまりうまくいかないようだ。それは生産に対する「貢献」を基準にしている。私たち労働者はこんなに貢献しているのに、というのである」(216)。

ニーズに関して、「医療はあればあるだけよいというものではない」(268)。介護や介助も同様であると。「まず、一日は二十四時間でそれ以上長くなることはない。そして多くの場合、その仕事は一人について一人で足りる。すると上限が決まっているということだ」(269)。「私たちはすぐ、「最低限度」とか、「基準」を決めたがる。決めないとやっていけないと思っている。しかしいつもそうか。そのことを考えておいた方がよい」(273)。

「政治が決めることがそれ以外で決まることと違う一番大きなことは、政治には強制があるということだろう。税金は払いたくなくても払うものだ。払わなければ脱税で罰せられる。だから、私たちは政府になにをさせるかを考えるなら、人を強制してでもすべきことはなにかと考えた方がよい」(310)。

山田真さんとの対談の中で、学校における能力主義を問題にしている文脈で。「もうひとつは、「学校は生活の場だ」と言ってしまうこと。一日のうち、起きている時間の半分以上を子どもたちは学校で過ごすわけですから、生活の場だというのは、主義主張じゃなくて事実なんですね。となると、いわゆる勉強のことだけを言っているのはおかしいということになる。暮らしを大切にするというところから〔障害のある子も〕普通学校へ行くというのはもっともな話になります」(363)。

岡崎勝さんとの対談でも同趣旨の発言。「まず言えるのは、僕たちの住む社会では、学校に行ってる時間が妙に長いということです。子どもが起きている時間の半分以上は学校にいるわけですから、いやおうなく学校は生活の場だと僕は考えています。だから、雑多な人がいっしょにいるのがほんとうだと思う。能力によって隔てられてしまう生活の場はいろいろな意味でおかしい、気持ちがわるい。そういう意味で、「障害児を普通学級へ」という主張は、誰がなんと言おうと正しいと思います」(374)

[J0537/241121]