Month: February 2025

アマルティア・セン『貧困と飢饉』

黒崎卓・山崎幸治訳、岩波現代文庫、2017年、原著は1981年。

第一章 貧困と権原
 1 権原と所有
 2 交換権原
 3 生産様式
 4 社会保障と雇用権原
 5 食料供給と飢餓
第二章 貧困の概念
 1 貧困の概念に必要なもの
 2 生物学的アプローチ
 3 不平等アプローチ
 4 相対的剝奪
 5 価値判断?
 6 政策上の定義?
 7 基準と集計
 8 結 語
第三章 貧困――特定と集計
 1 財と特性
 2 直接法か所得法か
 3 家族規模と同等成人
 4 貧困ギャップと相対的剝奪
 5 標準的指標の批判
 6 貧困指標の公準的導出とその変形
第四章 飢餓と飢饉
 1 飢 饉
 2 期間のとり方による違い
 3 集団ごとの違い
第五章 権原アプローチ
 1 賦存量と交換
 2 飢餓と権原の失敗
 3 権原アプローチの限界
 4 直接的権原の失敗と交易権原の失敗
第六章 ベンガル大飢饉
 1 概 略
 2 食料供給の危機か?
 3 交換権原
 4 困窮化の階層的基盤
 5 交換権原の極端な変化の原因
 6 政策の失敗における理論の役割
第七章 エチオピア飢饉
 1 一九七二〜七四年の飢饉
 2 食料供給量
 3 ウォロ――輸送の制約か,権原の制約か?
 4 生活困窮者たちの経済的背景
 5 農民の貧窮と権原
 6 牧畜権原と遊牧民
 7 結 語
第八章 サヘル地域の旱魃と飢饉
 1 サヘル地域,旱魃,そして飢饉
 2 FAD 対 権原
 3 困窮と権原
 4 政策上の諸問題
第九章 バングラデシュ飢饉
 1 洪水と飢饉
 2 食料輸入と政府備蓄
 3 食料総供給量の減少?
 4 被災者の職業分布と困窮化の度合い
 5 労働力の交換権原
 6 焦点に関する疑問
第一〇章 権原と剝奪
 1 食料と権原
 2 貧困層――正当な範疇?
 3 世界の食料供給と飢餓
 4 市場と食料の移動
 5 権原の失敗としての飢饉
講演 飢餓撲滅のための公共行動(1990年)
訳者解説 『貧困と飢饉』――その後の研究

一言でいえば、飢饉の原因を食糧不足に求める見方(FAD: Food Availability Decline)を批判して、所有関係をふくむ権原(entitlement)の関係にそれを求める権原アプローチを提案する書。また、センからすれば、貧困層という括りもまたあまりに大雑把すぎ、公共政策を歪めることで問題解決を遠ざけかねないものである。

FADは食糧が人びとにゆきわたる過程のことをまったく見過ごしてしまっており、飢饉の実態にも即していないとされる。つまり、多くの飢饉において、食料の総供給量の減少はみられていない。センはそのことを、ベンガル、エチオピア、サヘル、バングラデシュの事例から示しており、歴史経済学とでも呼べるような分析を展開している。

「事実、多くの飢饉において、飢饉が猛威を振るっているさなかに、飢饉に見舞われた国や地域から食料が輸出されつつある、との苦情が聞かれた」(259)。「権原の観点から見ると、飢饉に見舞われた地域からほかの地域に食料を持ち去るように市場メカニズムが働くことには、何の不思議もない」(260)。

以下は講演の章から。まず、「権原の失敗としての飢饉」。
「必要とされる金額の大きさを直観的につかむため、例えば潜在的な飢饉の犠牲者がある国の総人口の10%だとしよう(飢饉は通常、これよりはるかに小さな割合の人々に影響を与える)。平常時において総国民所得に占める彼らのシェアは、一般にGNPの約3%を超えることはないだろう。したがって、ゼロから始めて彼らの所得全てを回復させる、もしくは彼らの通常の食料消費を再供給するために必要な資金は、予防策が効率的に組織されれば、それほど膨大となる必然性はない」(291)。
 飢饉の犠牲者となる人びとは、経済的な面からみればごくシェアの小さな層だが、ほかの層の人びとがそこに関心を寄せないことから飢饉は生じる。「食糧危機」なるのものによって自動的に不可避的に生じるような現象ではない。
 このことと並行して、飢饉の脅威に対する社会的注目が重要だとされる。「世界における飢饉の過酷な歴史の中で、検閲を受けない報道が許された民主的な独立国家において飢饉が起こった事例がほとんどないことは、実は驚くべきことではない」(302)。「検閲を受けないニュース・メディアの活発な活動は、餓死の事例を早期に報道することによって、差し迫った飢饉の脅威について政府と公衆に警告するという、非常に重要な役割を果たすことができる。そうした報道はしばしば、断固とした公共行動によって阻止されなければ将来訪れることになる事態を、説明の余地なく示す役目を果たす」(303)。

ひとつ、危機にある人びとのことを報道するメディアがあること。もうひとつ、そのメディアの報道に感じて、公共政策につなげる人びとの動きがあること。

[J0565/250222]

立岩真也『良い死/唯の生』

ちくま学芸文庫、2022年。2008年の『良い死』全体と、2009年の『唯の生』第5章以降を収録とのこと。

第1部 良い死
 序章 要約・前置き
 第1章 私の死
 第2章 自然な死、の代わりの自然の受領としての生
 第3章 犠牲と不足について
第2部 唯の生
 第1章 死の決定について
 第2章 より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死
 第3章 『病いの哲学』について
おわりに
解説(大谷いづみ)

「自分で決めるということ以前は状況なのです。また自分で決めることが仮にかたちの上で可能になったとしても、〔・・・・・・〕結局生きていこうとするとその負担がご家族に集中的にのしかかってしまうことがあって、それが患者に生きるのをやめてしまった方がよいのかと思わせてしまうということです。普通の自分にとってよいこと、自分が生きるために自分が生きやすいために必要なことを選ぶという意味での自己決定が可能であるためには、可能であるための状況・条件がなければならないのですが、それが決定的に不足してきたのが今までの私たちの社会であったのだと思うのです」(38)。

「尊厳死は、合理的なものであり、因習を排するもの、近代的なものであると言われることがある。例えば、さきの太田典礼という人物にとっては、宗教を排すること、葬式を排することは近代的なことであり、尊厳死もまたその線の上に並ぶことになる。ある状態の人間を生きていると考えるのは、またある状態の人間を生きたままにするのは「迷信」であるとする。この論理にはよくわからないところがある。もちろん、なにを死としどのように遇するのかは事実認識の問題ではないからである。しかし、「絶対的生命尊重」を宗教、盲信の側に置くのであれば、それを排するのは合理的であり、近代的であるということになる」(69)。これのあと、「他方で尊厳死は自然に結びつけられるものでもある」と続く。

「しかしまず、「延命」のための行ないにおいて、そうおおげさなことが行われているわけではない。ことを冷静に考えるなら、呼吸や循環の補助、動力の供給に関わって必要なものはなにほどのものでもない。他方、それ以上に高等な機能については人間によって製造される物体によっては代替できていないから、そもそもそれで人を生きさせることはできない。これだけのことしかこの世には起こっていない。そうして、せいぜい、普通に長生きする人ぐらいまで生きていられるようにしようというほどのことである」(185-186)。

[J0564/250220]

大竹晋『悟りと葬式』

副題「弔いはなぜ仏教になったか」、筑摩選書、2023年。
文体やロジックが、まったく奇をてらってはいないのだけど、カクカクした感じで特徴的。仏典に親しんでいると、こういう感じになるのかな?
布施、葬式、戒名、慰霊、追善、起塔からなる、いわゆる葬式仏教の歴史的成立を、インドや中国の仏教と比較しながら描きだす。

序章 それぞれの仏教
第1章 布施の始まり
第2章 葬式の始まり
第3章 戒名の始まり
第4章 慰霊の始まり
第5章 追善の始まり
第6章 起塔の始まり
終章 葬式仏教の将来
付録 『浄飯王般涅槃経』の真偽をめぐって

葬式の背景(84)、
出家者が出家者の葬式を行う:インドの土着習俗。
在家者が出家者(もとは阿羅漢のみ)の葬式を行う:インドの聖者崇拝。
出家者が在家者(もとは阿羅漢のみ)の葬式を行う:インドの聖者崇拝。
在家者が出家者に布施を与えて引導させて在家者の葬式を行う:中国の聖者崇拝。

評者注記。本書では聖者ということばがキーワードになっているが、どうもその意味が曖昧にみえる。多くの場所で、たんなる出家者や僧侶が聖者ではないとされているのはわかるのだけども。悟りを開いた出家者はみな聖者とみてよい?どうもよくわからない。

チベットでは中有を認める。「したがって、チベットにおいては、そのあいだに出家者が亡者に灌頂を授けたり、あるいは戒を授けたりすることがあるのである。タイとチベットにおいては、出家者は亡者に戒を授けることはあるが、出家者が亡者に戒を授けるときに名を与えることはない」(101)。「じつは、出家者が亡者に戒を授ける時に名を与えることは日本において考え出されたのである」(101)。それは、平安時代に考え出された「臨終出家」の応用として、「死後出家」が出現したことによる。加えて、「日本においては、もともと、中国においてと同様、出家者が与えられる出家者名も、在家者が与えられる菩薩名も、法諱/法名/法号と呼ばれていた。戒名ということば用いられるようになったのは江戸時代においてである」(107)。

日本紀・続日本紀の頃、「ここまで、日本においては、盂蘭盆会において、在家者が出家者に布施を与えて亡者を悪趣から善趣に転生させることが考えられていたのである。ただし、のちには、日本においても、北宋からの影響によって、盂蘭盆会において、在家者が亡者に布施を供えることが考えられるようになった。いわゆる「お盆」の行事の始まりである」(137)。

「インドにおいては、在家者は慰霊を行っていたが、追善を行っていなかったのである。そもそも、インドにおいては、いまだどこへも転生していない亡者を儀式によって善趣へ転生させることはブッダですらできないと考えられていた」(154-155)。

「在家者が在家者の塔を起てることが考えられるようになったのは鎌倉時代においてである。平安時代末期においては、石塔として五輪塔や宝篋印塔が起てられていたが、鎌倉時代においては、そのような塔のうちに在家者の遺骨を収めることが始まった。ちなみに、五輪塔や宝篋印塔を石で造ることは、従来、日本において始まったと考えられていたが、近年、北宋の時代の中国において始まって、日本へ伝わったと考えられるようになっている。ただし、そのような塔のうちに在家者の遺骨を収めることは日本において始まったのである」(221)。「五輪塔や宝篋印塔に代わって、在家者が四角い墓石を起てるようになったのは室町時代からである」(222)。「在家者が四角い墓石に亡者の戒名/法名を記すようになったのは江戸時代からである」(222)。

「布施、葬式、戒名、慰霊、追善、起塔によって特徴づけられる、在家者の葬式のための宗教――いわゆる葬式仏教は在家者の聖者崇拝に起源を有している。その点において、筆者は、いわば、葬式仏教在家起源説を提唱するのである」(226)。

「仏教は、もともと、出家者の悟りのための宗教として機能していたが、聖者崇拝と土着習俗とを背景として、しだいに、在家者の葬式のための宗教としても機能するようになった。出家者の悟りのための宗教と、在家者の葬式のための宗教とはまったく矛盾しない。在家者は在家者の葬式において、出家者の悟りに達した聖者に布施を与えてこそ、その福徳によって大きな果/報酬を得、みずからあるいは亡者がそれを受けて善趣へ転生すると考えられているからである」(232-233)。

「こんにちの日本においては、妻帯世襲によって代表される出家者の世俗化にともなって、仏教が出家者の悟りのための宗教として機能しなくなり、在家者の葬式のための宗教としてのみ機能するようになっている。そのあたりに疑問を持つ在家者からは、いわゆる葬式仏教批判がしばしば起こされているが、その葬式仏教批判は、決して、在家者の葬式のための宗教を批判しているのではなく、あくまで、仏教が在家者の葬式のための宗教としてのみ機能するようになっていることを批判しているのであると考えられる」(233)。

なるほど、「出家者の悟りのための宗教」/「在家者の葬式のための宗教」という区分は、補助線として有効にみえる。ここでは、妻帯が「出家者の世俗化」と位置づけられている。とすれば、真宗などは意識的に仏教を世俗化していることになる。真宗など在家主義的な仏教(創価学会などを考えてもよい)は、この区分自体を破棄してしまって、「在家者のための宗教」が「葬式のため」にとどまらないことを要求することになる。

[J0563/250219]