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松岡正剛『知の編集術』

副題「発想・思考を生み出す技法」、講談社現代新書、2000年。

第1章 編集は誰にでもできる
第2章 編集は遊びから生まれる
第3章 要約編集と連想編集
第4章 編集技法のパレード
第5章 編集を彩る人々
第6章 編集指南・編集稽古

まずもって、およそ情報を扱う営みのすべては編集であるという見方をすえたところに、セイゴオさんの才気がある。

「地の情報」と「図の情報」という区別は、すぐにでも使えそう。こうした区別に言葉を与える手管はさすが。

もうひとつ印象に残った点、「私は知というものをテイストで分けている」(179)。
「そのテイストは、たとえば次のようになっている。
  ワインのように冷やしてグラスで飲む知。
  檜の桶になみなみと注げるような知。
  一輪の椿のように竹筒にいけたくなる知。
  その知とともに短距離ランナーのように疾走したくなる知。
  その知にパウル・クレーの震える線を与えたくなる知。
  昆虫標本のようにきっちりピンで刺したくなる知。
  サスペンス映画にしたくなるような知。
  なるべく表現しないままに風呂敷に包んである知。
  小声で隣の人だけに語る知。
  イサム・ノグチの石塊のようにまるごとでひとつになる知。
  舞台に立ったら蘇ってくる知。
  いつまでも書き込みしていたい知。」(179-180)

「なぜ、こんなふうになっているかというと、もともと編集にもTPOがあるからだ」(180)。

[J0311/221116]

内田正治『タクシードライバーぐるぐる日記』

三五館シンシャ、2021年。交通誘導員、派遣添乗員、メーター検診員等々の、ふだんは目立たない職業人に焦点を当てたシリーズ中の一冊。

第1章 汗と、涙と、罵声の日々
第2章 ドライバーの事情、お客の事情
第3章 警察なんて大嫌い
第4章 さよならタクシードライバー

副題は「朝7時から都内を周回中、営収5万円まで帰庫できません」とある。この副題からして、よくある誇張に満ちた「残酷物語」かと思いきや、さにあらず。むしろ、どちらかといえば淡々と、もう少し正確にいえば実直にタクシー運転手を務めた著者の日常的エピソードの数々が綴られていて、好感。『孤独のグルメ』でいうところの「こういうのでいいんだよ」というやつ(かな?)。へええ、個人タクシーって、運転手界のエリートなのか。

>描かれている世界はまったくちがうが、大正時代のタクシードライバーの伝記としては、高橋佐太郎『草分け運転手』(1958年)がある。

[J0310/221114]

岡田温司『最後の審判』

副題「終末思想で読み解くキリスト教」、中公新書、2022年。

第1章 あの世の地勢図
第2章 裁きと正義
第3章 罪と罰
第4章 復活

著者の博学がうかがいしれる一冊で、たしかにこういう本が存在することに世間的な意味はあるだろう。ただ個人的に評価をするなら、どこまでが著者独自の知見かも分からず、自身の主張もあいまいなまま、うんちくをずらっと並べたこの種の本に対する評価は、辛めになる。

致命的な欠点は、さまざまな絵画や彫刻を、著者のうんちくに対する一種の「挿絵」としか扱っていないこと。もし絵画や彫刻を中心に扱うのであれば、あれこれの宗教思想がなぜ絵画や彫刻といった特定の形態をとって表現されることになったのかという問題に対する考察がともなっていなければならない。たとえば、イスラーム圏で具体的な図像化が避けられることも、宗教思想の表現であるはずである。プロテスタントをはじめ、キリスト教にも同様の重要な問題圏がある。

同じ中公新書の類書なら、指昭博『キリスト教と死』の方が圧倒的に価値が高い。

[J0309/221114]