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菅野覚明『柳田國男』

これは労作。「柳田の人と思想の全体を網羅する入門書として」というのが著者の意図だそうだが、初心者向けの入門書としては記述の密度が濃すぎるようだ(良い意味で)。柳田國男ミニ事典といえるような内容。世間に「俺の考えるヤナギタ」像が溢れる中、ご自分の業績がある名誉教授の方がなぜこのような、とふしぎになるくらい手堅い仕事だ。清水書院、「人と思想」シリーズ199、2023年。

はじめに――「柳田山」の道標
序章 「読書童子」國男少年                      
第Ⅰ章 官僚としての出発
第Ⅱ章 民俗学への道
第Ⅲ章 在野研究者への転身
第Ⅳ章 柳田民俗学の確立
第Ⅴ章 戦中・戦後の日々
終章 柳田の思想世界

たんに手堅いというだけでなく、民俗学を前提した評伝ではないところにも意味がある。つまり、「柳田民俗学」の継承ないし克服といった文脈に囚われない記述になっており、そのときどきの論敵とのやりとりも含めて、彼の思想が揺れてきた軌跡についても知ることができる。

このように行きとどいた評伝だからこそなおさらに、また、本書著者も指摘しているように、柳田の場合、「経世済民のための学問」という看板や彼のキャリアと、実際に彼が書いた作品とのあいだに奇妙な距離があることを改めて感じる。たとえば、人々の実生活の問題に直截に取り組んだ宮本常一の著述と比べてみよ。「柳田の社会改良論は、人間の自然性と内面性とが交錯する「夢」「まぼろし」の領域へのまなざしに裏打ちされている」(356)と、本書著者はまとめている。なんとふしぎな社会改良論であることか。

[J0443/231230]

立川武蔵の尊厳論

立川武蔵『死後の世界:東アジア宗教の回廊をゆく』(ぷねうま舎、2017年)から、著者による尊厳論を抜き書き。この書のもととなった連続講義は、おそらくは尊厳死問題を念頭に、あるキリスト教グループから「仏教における尊厳について話せ」という依頼があってのことだそう。

「尊厳を有するというのは、尊厳があるかどうかが問題になっている人以外に、その人に尊厳があるかどうかを評価する人、あるいはその人に尊厳があるかどうかを見ている人、いわゆる他人がいなければ成り立ちません。仏教が尊厳ということを扱ってこなかったのは、むしろ仏教の弱点だと思うのですが、仏教は元来、ひとりの世界を扱ってきました。ひとりの修行者なり実践者がどのようにして悟りに至るか、ということを扱っているのが仏教なのです」(15)。

「「尊厳」に関連して「尊厳死」という言葉がありますが、私はそのネーミングに何か引っかかるものを今まで持ってきました。なぜかというと、ある人が尊厳を持って死ぬという場合、その人の尊厳は他の人が決めていると考えられます。つまり「尊厳」が問題になる場合、自分が「私には尊厳がある」といってもしょうがない、と私には思えるのです。他者が「その人に尊厳があるか否か」を認めるかどうかの話になってしまうような気がしてならないのです。これが社会的なバランスの問題になることは、それはそれとして理解できるのですが。
「もしも「尊厳死」とは、尊厳を持って死ぬということで、「あの人は立派な人だった」とか「品位のある人だった」という形で死にたいということになるとすれば、それはまた別の問題が出てくるのではないでしょうか。みっともない死に方をしたくないといったも、亡くなるときには、体力も考える気力も何もなく死んでいくのですから、尊厳ということをとやかくいってもしょうがないのではないかとさえ思います。
「もしも「尊厳」という言葉を使うべきであるならば、社会が、あるいは他人がとやかくいうことはやめて、一つの生命に与えられた「働き」の時間が終わったときに「尊厳」という言葉を「呼び出す」とともに、それと並行してその人にふさわしい言葉を見つける努力をすべきでしょう」(21-22)。

 やーやー、文章の前後をみると、ご本人は留保をつけながら述べているが、ストレートで的を射た「尊厳死」批判のように、僕には思える。個人の人格や自己決定にこだわる西洋キリスト教的な根を持つ人が、ある種の尊厳死を自分で選びとるのであればそれはそれで、という気もするが、それはやっぱり一面、執着ではある。
 一方、「今この瞬間を生きる」という言い方が安易に使われることに対しても、僕はわりと批判的なのだが、著者のように「少なくともみっともない死に方をする覚悟はあります」(237)という構えの上で、「常に死に向かって時の中を「老いながら」走って」いくのであれば(244)、尊厳という価値づけを事後的で二次的な問題としながら、「今この瞬間を生きる」という言い方をすることは成り立つだろう。
 そのときの「今この瞬間を生きる」とは、死を遠ざけんがための言葉ではなくて、「今この瞬間に死を迎えている」という言い方と重なりあう種類のものである。

[J0442/231228]

C. S. ルイス『悲しみをみつめて』

西村徹訳、新教出版社、1976年、C. S. ルイス宗教著作集6。原著 A Grief Observed は1961年出版。解説によれば、ルイス59歳の時に結婚した最愛の人ヘレン・ジョイ・デイヴィドマンを、3年の結婚生活ののちに亡くしたときの書き綴りを本にしたものだが、変名(筆名)を使って名を伏せて出版したものだという。

I 神はいずくに
II 「希望のないもののように」
III 紙牌の家
IV エルサレムのつるぎ

真に価値のある書。本の外見からはなかなか識別できないが、死別悲嘆の場面において、性急な慰めに人や自らを誘導する千万の書とは一線を画す。安易な慰めを厳しく拒絶し、悲痛のなかで率直にもらす言葉にだからこそ、逆になにがしかの救いを感じる読者もいるはずだ。

「感傷の涙。わたしにはむしろ苦悶の瞬間のほうがよい。それは少なくとも清潔で誠実だ。だが、自己憐憫に浸り、おぼれ、またそれにふける。いやらしく、ねばねばした、甘いたのしみ――それはわたしをうんざりさせる」(7)

「ともかくわたしは霊媒には近づかぬようにせねばならない。わたしはそれをHに約束した。彼女は、そのような団体のことをいくらか知っていたからだ」(13)

「死者にせよ、他のだれを相手にせよ、約束を守るのはしごくけっこうだ。だが、わたしには「死者の願望の尊重」など罠だとわかりはじめている。昨日わたしはつまらぬ事で、「Hだったら、そんなことはよろこばなかったろう」とあやうくいいそうになってやめた」(13-14)

「ずっと昔、ある夏の朝、たくましい、元気の良い労働者が鍬と如露を持って、わたしたちの教会の墓地にはいってきて、うしろ手に門を閉めながら、二人の友達にむかって肩越しに「また後でな、ちょっくらオフクロのところに寄ってくから」と叫んだとき、いいかげんうんざりしたことを覚えている。彼は雑草をとり水をやって、全体に母親の墓をきれいにするんだということを、言っているのだった。わたしがうんざりしたのは、こういう感じ方、墓地臭い言い草すべてが、わたしにはまったくいやらしい、あられもないことであったし、あるからだ。しかし近ごろわたしの考えるところでは、その男に同調できる(わたしにはできないが)人がいたとしても、それはそれで、けっこう弁護の余地がありはせぬかという気になり始めている。半坪の花壇がオフクロになってしまったのだ。それが彼には母の象徴であり、彼と母を結ぶ環であった。墓の手入れは母を訪ねることであった。これはある点、わが胸のうちに、思い出の心象をまもり、はぐくみつづけるよりは、まさっていはしないだろうか。墓と心象はひとしく、今に返すすべもないものとの結びめであり、想像の及ばぬものの象徴である。しかし、心象には、それがこちらの思いのままを叶えてくれるという余分の難点がある。それはこちらの気分次第で、ほほえみもすれば眉をひそめもする。やさしかったりはしゃいだり、野卑にもなれば理屈っぽくもなるのだ。それはこっちで糸をあやつれる人形なのだ。無論まだそうはなっていない。真実(リアリティー)はまだあまりにも新鮮だ。まじり気のない、まったく不意に浮かんでくる想い出はまだ、ありがたいことには、いつなんどきでもなだれこんできて、わたしの両手から糸を剥ぎとるのだ。しかし心象はますます、どうしようもなく従順になり、がっかりするほどわたしに従属してゆくほかはないのだ。ところが花壇のほうは、頑強で、手ごたえがあり、ちょうど生前オフクロがきっとそうであったように、しばしば手におえぬ真実(リアリティー)のかけらでもあるのだ。Hもそうであった」(30-32)

「ふり返ってみると、ほんのちょっと前まで、Hについてのわたしの記憶のことに、それがどこまで真実を偽わるものになるかに、わたしは腐心していたのだった。どうしたわけか――そのわけは慈悲深い神の御心としかわたしには考えられぬが――わたしはそのことを思い煩うことがなくなったのだ。そしておどろくべきことには、わたしがそれを思い煩わなくなってからというもの、いたるところで彼女はわたしに出あうように思われる。「出あう」とはあまりに強すぎる言葉だ。幻や声とは毛筋ほども似たもののことをいうつもりではない。特定の瞬間の、強烈に感情的な体験のことですらない。それよりは、まったく従来どおり、彼女はおそろかにはできぬ事実だという、一種ひかえめではあるが、ずっしりとした感じなのだ」(72-73)

「神に会うよろこび。死者との再会。こういうものは、わたしの思考の中では模造貨幣の形でしか現われない。いくらでも金額の書き込める小切手なのだ」(98)

「ごくおしまいに近くなってから、一度わたしは言った。「もしおまえにできるなら――もしゆるされるなら――わたしも死の床にあるときに、わたしのところにきておくれ」。「ゆるされるですって!」。彼女は言った。「わたしの行った先が天国だというしても、ひとすじなわでは、わたしをひきとめるわけにはゆかぬでしょうし、地獄なら粉々に打ち破って出てきてあげるわ」。彼女は、自分が喜劇的な含みさえある、一種の神話的な言語を語っていると承知していた。彼女の眼には、涙とともに燦めきがあった。しかし、彼女を貫いて閃く、そしていかなる感情よりも深い意志には、いかなる神話も、いかなるおどけたところもなかったのだ」(105-106)

[J0441/231228]