沈善瑛・西村明訳、青木書店、2010年、原著1996年。

第1章 比較のフロンティア
第2章 宗教を発明する
第3章 不信仰者たちの宗教
第4章 知られざる神
第5章 聖なる動物
第6章 フロンティアを越えて

なるほどなるほど、これはいい仕事だ。フーコーやサイードの影響を受けて、従来の宗教研究の植民地主義をえぐった名著、みたいな触れ込みを聞いていて、ああ、そういう「批判」系かとおもって敬遠していたが、それはまちがっていたね。

正確に言えば、その触れ込み自体はまちがってはないんだけど、たんに批判や脱構築をするのではなくて、いわゆる正統な宗教研究史の外側に、植民地と直に接触した宣教師や行政官寄りの人たちもまた、ある種の「比較宗教」の実践を行ってきたことを示して、新たな「異文化理解史」の掘り起こしをしている労作だということを、読んでみて悟った次第。なんなら、ヨーロッパの「支配者」側だけでなく、植民地の原住民側も同じようにキリスト教の吟味をして「比較宗教」実践を行っていたことを記している。チデスターさんは、これを「下からの比較宗教」と表現している(261)。この辺、歴史学に対する保苅実さんの見方とも通じるところがあるかもしれない(『ラディカル・オーラル・ヒストリー』2004年)。

植民地の宗教を理解する際、最初に、またその後も頻繁に用いられた説明は、「奴らは無宗教だ」「奴らは宗教を持たない」という言い方だったという。これに対して、たとえば南アフリカのコサに対して、ジョセフ・ワーナーという駐在員が1858年に「秩序正しい迷信の体系」を認めるにいたったと。チデスターさんを信じれば、こんな言い方が出てきたのが、19世紀も後半にさしかかろうかという時期というのもなかなか衝撃的だが。

「民族誌的現在」に関して。やはり南部アフリカを例に。「20世紀の閉じられたフロンティアにおいて、ヨーロッパ人比較論者たちは、アフリカ人の伝統的な宗教生活の輪郭を再構築することで、彼らを特定の場所に固定し、特定の時間のなかに凍結することができた」(291)。

こういった話については日本は無関係ではまったくなくて、支配者側の立場の話もあるだろうし、逆に見られる側、品定めされる側の話としては、ロジェ=ポル・ドロワ『虚無の信仰』あたりが関連が深い。

チデスターさんは、宗教というカテゴリーが政治的・植民地主義的な動機のもとに用いられてきたことを誰よりも詳しく明らかにしたあと、それでも比較宗教という営みにポジティブな可能性を認めている。このへんがまた、脱構築に甘んじる立場(あるいは脱構築を徹底する立場、だろうか?)とは異なるところだ。

[J0204/210925]