ちくま学芸文庫、2021年。もとは1985年。

  • 増補 その後の女性たち―1985-2020年
  • 女性解放論の現在
  • 「差別の論理」とその批判
  • リブ運動の軌跡
  • ウーマンリブとは何だったのか
  • からかいの政治学
  • 「おしん」
  • 孤独な「舞台」

文庫化されて、ようやく読んだ。世間一般の理解とはまた別に、日本のフェミニズムにも(には)、歴史と議論の厚みがあることを感じる。1985年と言えば、日本の経済的成功が輝いていた頃。この書の著者は、フェミニズムの主張を大きく掲げるというより、努めて丁寧に、女性やフェミニズムが置かれている状況を読み解こうとする。

とくに、差別が巧妙に人を絡めとる構造を辿った「「差別の論理」とその批判」と「からかいの政治学」は、この種の問題を考える上で必読論文と言える。いずれの論文も、参考文献は最低限しか挙げられておらず、著者が眼前にある状況を自ら読み解いていった作業の姿勢がうかがわれる。

差別者の眼差しや言動については、それを考察対象として抑制的に描いているのに対して、「仲間の側」にみえるイリイチの議論にはよりストレートな批判が向けられている。著者によれば、イリイチは近代の産業社会批判という目的のために女性解放論を組み立てているのであり、前近代の社会状況を理想化している点でも誤っている。「妊娠・出産等の「労働力再生産」に関わる領域こそ男女の本質的な差異の根本」なのであり、「女性が主婦として果たしている役割が単にシャドウ・ワークではないからこそ、女性解放の問題は困難なのであり、またそれだけ根本的な社会批判になりうるのである」(88)。

論文「おしん」での指摘。「たしかにおしんは苦労した。けれども不思議なことに「おしん」のドラマには老いも病いも欠けている」(276)。結局はおしんの頑張りは、経済第一の「社会進出」に通じるものではないかという。今読むと、橋田壽賀子さんが近年盛んに安楽死安楽死と語っていたことが思い出される。彼女自身、なんやかんや揶揄されがちなキャラクターとして扱われていたことも。

[J0214/211127]