立花隆編、文春文庫、2011年、単行本では2009年。

The First Three-Months (2007年8月4日~10月31日)
The Second Three-Months(2007年11月1日~2008年2月8日)
The Third Three-Months (2008年2月9日~4月29日)
The Fourth Three-Months (2008年5月3日~7月2日)
対談「がん宣告『余命十九カ月』の記録」(戸塚洋二・立花隆)

闘病記のたぐいはそんなに読まないが、立花隆編集というので手に取る。筆者は、ニュートリノ観測で世界的な業績をあげた物理学者で、本書はブログに綴った闘病記をまとめたもの。

自分の病状をはじめ、身の回りのこともあくまで科学的にものごとを捉えていく。言ってみれば、たんたんとその姿勢を貫いているだけなのだが、読み進むにつれて次第にそれが迫力あるものに感じられてきて、感嘆の感情も湧いてくる。がんが脳にも転移し、せん妄状態に入って記憶が飛んだことや、幻覚が見えても、なおそれを「自分の頭脳を研究する楽しみができました」と記述している。「病状が進むと精神の荒廃が進むことを恐れていたのですが、今のところ、むしろ精神の清澄化が進みつつあるような気がします。もちろんこれからのことはわかりませんが」(329)。

柄谷行人氏と福岡伸一氏の対談記事への感想。「このトークは、当たり前のことが多く自明ですが、ペシミスティックなところが気になります。科学は常にオプティミスティックでなければなりません。私見ですが、ペシミスティックな態度は、理解できていない科学を対話や報告で無理して使おうとするときに起きるようです。自信のなさの表れですね」(334)。後半、ぴんと来ないところもあるけれど、戸塚さんの生き様はよく分かる。科学的態度も、彼ほど貫き通せば、ひとつの人生哲学になる。(もっとも、それを人生哲学と呼ばれることを嫌がるタイプの科学主義者には、一言言いたくなるが。これは戸塚さんやこの本とは別の話。)

当時流行していた「千の風になって」について。「大変申し訳ないと思いますが、私はこの歌が好きではありません。この詩は、生者が想像し、生者に送っている詩に過ぎず、本当に死者のことを痛切に感じているのかどうか、疑問に思ってしまうのです。死期を宣告された身になってみると、完全に断絶された死後このような激励の言葉を家族、友人に送ることは不可能だと、確信しているからです」(77)。戸塚さんの無神論の思想はまた別として、「生者が想像し、生者に送っている詩に過ぎず、本当に死者のことを痛切に感じているのかどうか」、死者の表現のほとんど――もしかしたら病気や障害でも――がそうなのは確か。「実際に死にいく者の視点で物事を見てみたい少数の人々もいることを理解してください。あるいは私一人だけかな」(78)。

[J0236/220218]