副題「文明の歴史と私たちの未来」、英治出版、2021年。

第1部 量を追求する旅――エネルギーの視点から見た人類史
 第1章 火のエネルギー
 第2章 農耕のエネルギー
 第3章 森林のエネルギー
 第4章 産業革命とエネルギー
 第5章 電気の利用
 第6章 肥料とエネルギー
 第7章 食料生産の工業化とエネルギー
第2部 知を追究する旅――科学が解き明かしたエネルギーの姿
 第1章 エネルギーとは何者か
 第2章 エネルギーの特性
 第3章 エネルギーの流れが創り出すもの
 第4章 理想のエネルギー源は何か
第3部 心を探究する旅――ヒトの心とエネルギー
 第1章 火の精神性
 第2章 エネルギーと経済
 第3章 エネルギーと社会
第4部 旅の目的地――エネルゲイアの復活
 第1章 取り組むべき問題
 第2章 目指すべき未来
 第3章 私たちにできること

これは良書。エネルギー問題や環境問題を考えるなら、SDGs の流行にあやかった内容の薄い本を読むより、断然この本を薦めたい。というか、どんどん薦めていく所存。自然科学の部分と人文学の部分が両方あって、どちら寄りの人にも読みやすくなっている。ぜいたくを言えば、参照した文献の提示をもう少し丁寧にしてもらえたら良かったんだけど、でも一通りの注釈は付いているので、ぜいたくなリクエストかな。

つねに原理原則の面からものを考えているところが、刺激的。文系側の人間としては、エネルギーの原理から人類の歴史を考える第一部、とくに第一章は、再読・再々読したい内容。ジャレド・ダイアモンドより良い。

古舘氏は、人類史に5つのエネルギー革命を認める。
(1)火の利用:環境のみならず、胃腸の縮小・脳の発達へ
(2)農耕の開始:太陽エネルギーの占有
(3)蒸気機関の発明:エネルギー形態の転換を可能に
(4)電気の利用
(5)窒素固定技術の発明:農業の工業化をもたらす
おもしろい。たとえば、鉄の利用や石油の利用よりも蒸気機関発明の意義を大きいと言えるのは、それが熱を運動に変換させるという原理自体に関わる革新であり、それまで成長の限界を画していた森林資源や地理的制限を取りはらう役割を果たしたからだという。氏の見方は、食糧という生物学的なエネルギーの問題と、工業生産の動因としてのエネルギーの問題を、シームレスに理解しようとする。

また、第二部以降は、エントロピーの観点を基礎に、エネルギーや環境、人類社会の問題を捉え直していく。

「地上には人類が使うエネルギーの一万倍を超える規模のエネルギーが太陽から降り注いでいます。したがって、人類の活動によって放出された排熱エネルギーそのものが地球環境全体に与える影響は、極めて軽微であると考えられます。気候変動、地球温暖化への影響としては、温室効果ガスである二酸化炭素やメタンガスの増加に伴う温室効果の影響の方が圧倒的に大きくなります。それは温室効果ガスの存在が、太陽ネルギーを地球が受け取り、やがて宇宙へ放出するという大きなエネルギーの流れそのものを詰まらせるからです」(235)。いや、当たり前と言われてしまうかもしれないけど、意外とこういう風に整理して説明されたことなかったよ。やっぱり、たんに何かが何かに直接効果をもたらすことよりも、「流れを変えてしまう」「流れを滞らせてしまう」ことのほうが、はるかに大きな影響になってくるのだな。太陽エネルギーを人類が独占すれば、そのことによる影響も出てくると警告している点も重要。つまり、たんにあの技術が良い、あの技術が悪い、というのではなく、エネルギー循環サイクルの観点から技術の有益性も考えてなくてはならないということ。

まずは、環境保護とは、人類や現生生物を守る運動であり、地球を守るという話だという点を確認。では、温暖化が進んだ場合に何が起こるかというと、海面水位の上昇であるが、それは縄文海進時代よりもまだ低いという。ただ、縄文時代とは人口規模が大幅に異なる現在において、さまざまな社会問題や軋轢を生じさせることになるのだと。

いや、きっとそういうことなんだな。破滅的事態というと、世界のみんなが平等に逃げまどったり、飢えに苦しんだり、病気で倒れたりという想像をしがちだけど、むしろ暴力やぎすぎすした空気、そして不平等で非人間的な社会というかたちで現れる部分の方が圧倒的に大きくなると予想できそうだ。それも、突然の超巨大隕石の襲来というようなことではなく、しだいしだいに、というかたちでだ。新型コロナの件でよく分かるでしょ、と思うのは一瞬で、実際にはまさに新型コロナの動向は、現在の環境問題の悪しき進行の一部以外のなにものでもない。つまり、ウイルスの発生自体が、養鶏産業や国際的な食糧市場の構造を条件としたものなわけで、新型コロナがもたらしたも問題状況とは、人口増加や空間の不足であり、「やむを得ない」社会的抑圧であり、反ワクやそれに発する社会的分断や反政府運動であったりする。こういう「事件」が続いていく中で、環境問題に関する悪い方のシナリオはしだいに進んでいくのだろう。環境問題への取り組みは、それを少しでも遅らせ、食いとめるために必要な原理的手立てなのだ。

[J0237/220219]