岸政彦『マンゴーと手榴弾』(勁草書房、2018年)。

『断片的なものの社会学』はエッセイであったが、この本は生活史の方法について、非常に重要な理論的問題を取りあげている。この本に通底しているその問題は、典型的な構築主義が示してきたように、調査者は話者が語る世界から身を退けて、それをひとつの「語り」として捉える立場に甘んじていていいものだろうかという問いだ。

理論的反駁一本でゴリゴリ書くのではなく、実際の語りを提示して、その重みを示しながら論を展開する手腕はさすが。反面、そのやり方でスルーさせられている事柄もある気がしてしまうのは、こちら読み手の問題もあるかもしれない。社会学者が話者とともに共通の現実構築に関わっていること、そして社会学としてのアウトプットの現実性もまた、たえまない社会的な相互過程の中で保証されるということについては、正にそう。

きっとこの本の範疇を超えてしまうのだが、そうやって社会学という営みを続けていく意味についても――それはやはり社会学でなくてはいけないのか――、もうちょっと聞いてみたい、考えてみたい。

[J0025/200408]