新潮文庫、1985年。平野甲賀デザインのタイトルがまた、1980年代の気分。ひとつ容易に想像されるのは、この本を手に取った当時のMJファンの困惑である。たしかに写真は豊富。しかし、そこにはリンチで焼かれ焦げた黒人の死体を満足げに眺めている白人たちの写真までが含まれているのだ。文庫本の体裁とうらはらに、民俗音楽・黒人音楽研究家の著者による硬派な内容で、MJのファンブックを期待して読んだ人はびっくりするだろう。

第一章 マイケル異常人気の秘密
第二章 可愛い「黒んぼ」
第三章 「品行方正」な黒人
第四章 「ジップ・クーン」のイメージ
第五章 黒人芸人の系譜
第六章 ダンスの流行
第七章 黒人音楽の変遷
第八章 音楽産業とマス・メディア

「これは大変なポップ爆発現象だ。新聞雑誌は、ビートルズ以来である、個人としてはエルヴィス・プレスリー以来であるという。そして、数字の上では、そのプレスリーをも、ビートルズをも凌いでしまうものだ。しかし、それは単に量的な比較であって、同じ爆発と言っても、マイケル・ジャクソンの人気の爆発は、黒人であることを別にすれば、ただとにかく売れている現象なのだという感が強い。多かれ少なかれ衝撃的なこととしてプレスリー経験をしてきた者、あるいはビートルズ経験をしてきた者ならば、すぐに違和感を覚えることで、エルヴィスやビートルズの人気にはっきり付帯していた反逆的な、革新的な含みが、マイケルの場合にはまったくないのだ」(176)。

著者は、その爆発的な人気の背景を確かめるのに、大手レコード会社の経営手腕をすら論じている。本書の中心的主張は、マイケル・ジャクソンは「すんなりと万人受けする」無害さ、つまりは白人層に対する無害さによって売れているのであり、そしてそうした芸風はアメリカ黒人差別の歴史の中に根を持つ、歴史的・社会的必然性を有するものだというところにある。たとえば、田夫としてのジム・クロウと並んで、戯画化され再生産されてきた黒人像であるジップ・クーンの系譜である。著者は決してMJを非難してはない。そうではなく、MJが売れることの背後になお潜む、アメリカの人種差別構造を浮き彫りにしようとしている。

日本からみてまたおもしろいのは、そういう文脈をまったく無視した、日本におけるMJあるいは黒人音楽の受容である。1980年代、子供心に、マイケルは、カール・ルイスやあれこれの話題映画ともに、アメリカそのものだった。ポップ・アイコンという言い方がこれほど似合う人はほかにいない。

なお、僕が一番好きなポップ・アイコンとしてのマイケルは、もう少しあとのFlashブームのときに作られた、ファミコンソフト「マイケル・ジャクソン・ムーンウォーカー」をモチーフにした「マイケル・ファンタジー」というひどく懐古的な動画である。マイケルと任天堂、並べてみるとぐっと来る。エモいなんて言葉は使わなかった頃。

[J0048/200528]