ちくま新書、2019年。大規模な全国調査であるSSM調査やSSP調査を駆使して、幼・小・中と、教育をめぐる格差問題の実態を辿る。

第1章 終わらない教育格差
第2章 幼児教育――目に見えにくい格差のはじまり
第3章 小学校――不十分な格差縮小機能
第4章 中学校――「選抜」前夜の教育格差
第5章 高校――間接的に「生まれ」で選別する制度
第6章 凡庸な教育格差社会――国際比較で浮かび上がる日本の特徴
第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか

いくつかメモ。

――「近年に比べれば注目されなかった経済安定成長期の1970・1980年代にも「子どもの貧困」は実数として多く存在したし、貧困層と非貧困層の大卒割合の格差は明らかである」(41)

――「1990年代、教育価値志向は地方(非三大都市圏)のほうが高かった。2000年代以降は逆転し、三大都市圏のほうが高い」(80)〔ふーむ?〕

――「実際のところ、学校教育の効果を検討したアメリカの研究によれば、出身階層による学力格差は学期中に縮小するが夏休み中に拡大する。夏休みは学校によって生活時間が構造化されていない「自由」な状態であるので、SES〔社会経済的地位〕による親の子育て格差が直接的に繁栄されることになる。

――「各国内で低SES〔社会経済的地位〕の生徒が高学力になる割合は低い。すなわち、「生まれ」による学力格差はどの社会においても存在し、日本の割合は国際平均と同水準である」(250)

――著者が提示する、「教育論議のメリーゴーラウンドから脱出する」ための4ヶ条、(1)価値・目標・機能の自覚化、(2)「同じ扱い」だけでは格差を縮小できない現実、(3)教育制度の選抜機能、(4)データを用いて現実と向き合う。〔それから、AO入試のような「多様」な基準で人を評価する方法が、評価の多角性および不透明性のゆえに、親のSESの影響を大きくするという指摘も重要に思われる〕

結論として13項目を挙げているその内のひとつが、「価値・目標・機能の自覚化、「扱いの平等」の限界、教育制度の選抜機能で意識した上で、現状把握なき「改革」のやりっ放しを止めよう」。ほんとにね。松岡さんの提言は、実は多方面に対するものが混じっていて、いわゆる教育現場で考えるべきものと、政策水準で考えてほしいものと、両方が大事だけんね。

[J0060/200724]