文春文庫、2020年。原著は2018年。

先崎九段の兄はうつ病者を専門にした精神科医だそうで、彼の言葉では「うつっぽい、とか軽いうつの人が書いたものは多い。でも本物のうつ病というのは、まったく違うものなんだ。ごっちゃになっている。うつ病は辛い病気だが死ななければ必ず治るんだ」とのこと、そしてこの書は、本物のうつ病者が回復末期に書いた「世にも珍しい本」。たしかに、うつを発症するきっかけとなった、将棋界のあれこれの有名な出来事との関係はわりとさらっと書いてあって、言えばひたすら地味な闘病というか回復の過程に紙幅の多くが割かれていて、そこが勉強になる。

とはいえ、当時の将棋界との絡みでも興味ぶかい。先崎九段が発症をしたのは、ソフト不正冤罪事件で将棋連盟が大混乱に陥り、そのフォローとともに、将棋界のイメージ回復を賭けた「3月のライオン」関係の事業に奔走していたときであった。そこから世間とは隔絶した入院・闘病生活に入って、そのあいだに藤井聡太ブームが巻き起こったことを先崎九段は後から知るのである。

また、一年間の休業のあいだに、将棋の指し方自体が革命的に変化して、復帰をめざしはじめてそのことに気づくくだり。その要因のひとつにAIの利用があるとおもうのだが、それとは対照的に、先崎九段がこれがなくては回復とは言えないとこだわるのが「言葉でうまく説明できない「感性」」だというのがおもしろい。しかも彼自身、「「感性」が、将棋の強弱、ひいては勝ち負けにどれほど関係があるのは分からない」と言うのである。

「将棋が戻らない。この部分を書いているのは3月の頭だが、まだまだ細かい感覚が駄目なのだ。駒がなんとなく指にフィットしないのである。脳と指が一体化しないのだ」。「別にそんな細かいことなんて将棋の実力には関係ないんじゃないかとも思ったが、四十年間の厚みで培った感覚である。なくなるとすれば、さみしいではないか」。

うつ病の治療生活の中で、繰り返す浮き沈み。そのようすをみていると、繊細・聡明でもともとが情熱的ということは前提として、すごく細かな対人関係に動かされていることがよく分かって、もともと人に対する関心が深い人なんだろうなという印象も持ったが、どうだろうか。うつ病と、人に対する関心の深さがどのように関わっているかという点――それは要因のひとつとも考えられるのか、あるいは要因ではなく、むしろうつ病の表現様式に関わるものなのか――ということにも興味を持った。

[J0176/210715]