Author: Ryosuke

杉崎泰一郎『欧州百鬼夜行抄』

副題「「幻想」と「理性」のはざまの中世ヨーロッパ」、原書房、2002年。怪物妖怪好きな好事家による本も悪くはないが、本書については、歴史学者としての著者の視点がやはり光る。キリスト教と「異教」的なものとの絡み合いを描いて、やはりひとつは歴史的変遷を踏まえていること。西洋における重要な先行研究に言及していること(この方はP.ギアリの訳者でもある)。それから、「この時代、これに関する資料は乏しい」と、資料の不在にも考慮をしていること。

第1章 怪人たち
第2章 怪獣たち
第3章 ドラゴンと蛇
第4章 幽霊たち

個人的に関心のある第四章、中世ヨーロッパの幽霊史から。
キリスト教布教の時代。3世紀のテルトゥリアヌス『魂について』、神の奇蹟による「ファンタスマ(幻影)」としての幽霊。5世紀のアウグスティヌス『死者のための供養について』、供養の提言。6世紀のグレゴリウス一世『対話』、やはりミサの奉納を認める。5世紀から7世紀は、そもそも、幽霊の出現に関するテキストがきわめて少ない。それでも著者はいくつかの例を示している。

その後の中世全体の流れを総括した部分から、「アウグスティヌスをはじめラテン教父たちが提唱したようなキリスト教的な幽霊観、すなわち死者本人が現世に戻ってくることはなく、それは悪魔か天使が起す幻影であるという考えは結局ヨーロッパでは定着せず、幽霊の彷徨が教会でも公認されることになり、肉体を伴って出現することすら多くなりました」(226-227)。

カロリング期から紀元1000年頃、死者祈祷が教会において重要視されるように、修道士たちも幽霊の物語を盛んに語るようになる。

11~12世紀には、死者の追善供養を行うことで、クリュニー修道院が一世を風靡。代表的な大著、尊者ピエール(ベトルス ・ ウェネラビリス)『奇跡について』。

13世紀、ゴシックの時代。たんに不思議を恐れるのではなく、そのメカニズムを考える。ティルベリのゲルヴァシウス『皇帝の閑暇』。ジャック・ル・ゴフが「偉大なる煉獄の普及者」と評した、ハイステルバハのカエサリウスによる例話集『奇跡に関する対話』。さらに、中世末期には幽霊の土俗化が生じたという。

[J0517/241002]

大沢真知子『21世紀の女性と仕事』

左右社、2018年。放送大学叢書というシリーズの一冊で、もともと2006年に出版された放送大学の教科書を改訂したもの。

1 アメリカと日本の「静かな革命」
2 労働経済理論とその見落とし
3 ジェンダー革命と出生率の回復
4 なぜ女性は仕事を辞めるのか
5 男女格差のメカニズム
6 転職しづらい日本の労働市場
7 教育と女性の就業
8 企業の法対応の功罪
9 非正規労働と女性の貧困
10 男性へと拡がる格差
11 意識の壁に挑む
12 ダイバーシティ&インクルージョン

「ジェンダー革命」論の文脈。「これらの研究成果から出生率の低下は、男性は稼ぎ主であり、女性はケアの主な担い手という社会から、男性も女性も仕事と家事を分担する男女平等社会への移行期に起きた現象と解釈される」(50)。

「従来、女性が活躍できない原因は女性側にあると考えられてきた。たとえば女性は勤続年数が短く、結婚や出産で仕事を辞める人が多い、というように。しかしここまでみた通り、男女間の昇進や賃金における格差は複合的な要因によって生じている。仕事の割り振りの男女差、昇進のスピードの差、長時間労働、短時間勤務制度がもたらす能力開発への負の影響などである。女性の側に要因があるわけではないのだ」(93)。

男女雇用機会均等法の効果。「女性社員の育成のためには、職場での男女差別をなくし(均等政策)、同時に仕事と育児が両立できる環境を整えるという両方の政策を行うことが重要なのだが、90年代後半になると、企業の女性支援策は両立支援にシフトし、均等の視点が弱くなっていくのである」(128-129)。

配偶者控除の103万円の壁、社会保険料の130万円の壁。「2010年に実施された労働政策研修・研究機構の「短時間労働者実態調査」によると、非課税限度額である年収103万円を超えそうになった場合に、就労調整を考慮すると回答している人は25%にのぼる。4人に1人が就労調整をして労働時間を調整している。そうであれば、人手不足になっても雇い主は賃金を上げるインセンティブをもたない。挙げると就労調整をする人が増えるだけだからだ。そのためにこの制度によって、パート全体の賃金は9%程度押し下げられている推計されている」(155)。

「エッセイスト酒井順子は著書『男尊女子』(2017)の中で、日本は女性がリーダーシップを取りたがらないだけでなく、女性が自ら一歩引いて生きることを選択している「男尊女子」社会だと説いている」(182)。

[J0516/240928]

石岡丈昇『エスノグラフィ入門』

フィールドやフィールドワークという方法に対する、著者の誠実さを感じる概説書。ちくま新書、2024年。

第1章 エスノグラフィを体感する
コラム1 サイクリストの独自世界
第2章 フィールドに学ぶ
コラム2 ペットによる社会的影響とその効果
第3章 生活を書く
コラム3 遊びとしての公的空間での眠り
第4章 時間に参与する
コラム4 手話サークルから見るろうコミュニティとコロナウイルス
第5章 対比的に読む
コラム5 リスクから見るサブカルチャー
第6章 事例を通して説明する
コラム6 部活動におけるケガの社会学

「おもしろいエスノグラフィには、印象的な場面が必ず描かれています」(30)。

「エスノグラフィは不可量のものを中心に据えますが、だからといってそれだけで作品が成立するわけではないのです。見過ごされがちな不可量のものを記しながら、それと同時に可量のデータも副次的に繋ぎ合わせることで、ひとつの作品を作り上げていくのです」(87)。

「スポーツ振興策は、スポーツを主語にして考えます。スポーツが地域をどのように活性化するか、という観点です。そうではなくて、地域を主語にすることを、私たちのプロジェクトでは試みました。地域がスポーツをどのように取り込むのか」(93-94)。

アフリカ研究について、アフリカの人々の主体性が「徹頭徹尾、削がれている」「問題地域」史観の問題性(114)。それとは異なる、アフリカニスト。

「エスノグラフィの調査研究においては、調査者も動かねばならない」(181)。マリノフスキー的原則の、著者による言い換え。著者は「フィールドに流れている時間に参与することが必要になる」と強調しているが、たんなる観察者の立場に留まる調査者は、そうした時間への参与に欠くというわけだ。

文献の読み方についても、フィールドワーカーとしての著者らしさ。サマリーではなく、エスノグラフィー本文を通読することにこだわる。「通読中の時間的経験の内部での読みに、私はこだわりたいのです」(200)。

エスノグラフィーにおける「対比」の手法。「同じ強度で複数の事例を調査して、その結果を比較するという手法」としての「比較」ではなく(237)。「ひとつの事例であっても、調査実践としては複数の事例を調べてはいるのです。ただ、そうした複数の事例を並べて比較したりするのではなく、中心となる事例をより深く捉えるための対比項として他の事例を使っているのです」(236-237)。文献を用いた「対比」でも同様。

エスノグラフィとルポルタージュ(いわゆるジャーナリズムということと同様と思われる)の違い。「エスノグラフィは時間をかけることが許された手法である」(260)。それに応じて、「社会学者は、もっと長いスパンで物事を見ることが可能です。それは情報の最前線ではなく、そこに通底する人間の生活のありようを捉えようとするからです」(262)。

著者は、このコスパ時代、AI時代にあって(とはご本人は言っていないが)、調査に、参与観察に、文献読解に、「時間」をかけることの意義を力説している。

[J0515/240927]