Author: Ryosuke

佐藤弘夫『人は死んだらどこへ行けばいいのか』

『人は死んだらどこへ行けばいいのか:現代の彼岸を歩く』(興山舎、2021年)およびその続編、『激変する日本人の死生観』(興山舎、2024年)。
 中世宗教思想史の研究者である著者が、中世人の他界観やその後の歴史の成り行きに思いを馳せながら、全国各地の聖地・史跡をめぐる。どの記述にも著者一流の歴史理解が貫かれていることともに、これだけの聖地・史跡が各地に分布していることに改めて印象づけられる。
 以下、この二冊で著者が訪れている場所を並べてみる。

川倉地蔵尊(青森県五所川原市)
西来院(岩手県遠野市)
遠野のデンデラ野(岩手県遠野市)
黒石寺(岩手県奥州市)
樹木葬の森(岩手県一関市)
骨寺(岩手県一関市)
川原毛地獄(秋田県湯沢市)
大湯環状列石(秋田県鹿角市)
三森山(山形県鶴岡市)
ムカサリ絵馬(山形県東根市)
立石寺(山形県山形市)
慈恩寺(山形県寒河江市)
瑞巌寺(宮城県宮城郡松島町)
遊仙寺(宮城県伊具郡丸森町、著者の家の菩提寺)
熊野神社(宮城県名取市)
津波跡地(岩手県・福島県・宮城県)
医王寺(福島県福島市)
八葉寺(福島県会津若松市)
岩船山(栃木県栃木市)
全生庵(東京都台東区)
回向院(東京都墨田区)
上行寺東遺跡(神奈川県横浜市)
江ノ島・龍ノ口(神奈川県藤沢市)
一の谷遺跡(静岡県磐田市)
文永寺(長野県飯田市)
立山と芦峅寺(富山県中新川郡)
四天王寺(大阪府大阪市)
一心寺(大阪府大阪市)
六道珍皇寺(京都府京都市)
愛宕山(京都府京都市)
紫式部の墓(京都府京都市)
春日大社(奈良県奈良市)
元興寺(奈良県奈良市)
箸墓(奈良県桜井市)
法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)
當麻寺(奈良県葛城市)
高野山(和歌山県伊都郡高野町)
熊野(和歌山県)
金剛證寺(三重県伊勢市)
黄泉の洞窟(島根県出雲市)
弥谷寺(香川県三豊市)
岩屋寺(愛媛県上浮穴郡久万高原町)
別府の地獄めぐり(大分県別府市)

『人は死んだらどこへ行けばいいのか:現代の彼岸を歩く』には、「巻末年表」として、「日本における他界観の今日に至るまでの歴史的推移」が付されている。

[J0502/240823]

石井米雄『道は、ひらける』

副題「タイ研究の50年」、めこん、2003年。タイに魅了されて、外務省に勤務、大使館勤務中にタイでは出家をしたり、大学に通ったり。後には、創設直後の京都大学東南アジア研究センターに招聘される。まさに夢とロマンの学問だなあ。途中、若き梅棹忠夫がフィールドワークにやってきて、これと合流する話も。

第1章 中退また中退
受験生のころ
言語学へのあこがれ
小林英夫先生との出会い
外務省暮らし

第2章 ノンキャリ、タイへ
タイ留学時代
チュラーの思い出
稲作民族文化総合調査団
梅棹さんとの出会い
出家志願
得度式の思い出
大使館勤め
「ナンスーチェーク」蒐集のこと

第3章 再スタート
二度目の本省勤務
四面楚歌の東南アジア研究センター
地域研究ということ
学位取得のこと
ロンドンへの研究留学

第4章 旅、終わらず
上智大学へ移る
雲南旅行の経験から
学長業と研究と
学問は面白い

純粋な伝記ないし見聞録として刺激的な読み物。たとえば、商業出版が乏しい時代の貴重な出版物であった、葬式本といわれる「ナンスーチェーク」の収集の話とか。「そもそも「ナンスーチェーク」は、前世紀の末に始められた制度で、芸術局に保管されている手写本を印刷して普及させることにより文献の散逸を防ぐことができることから、それを功徳を生む行為であると考えたことに始まるタイ独特の習慣である」(116)。

「勉強が、申し訳ないくらい面白い。面白いなんて学問の冒瀆だ!と、怒られるかもしれない。だけど、面白いんだからしかたがない。だからやめられない。ただそれだけだ」(188)。なんと幸せな。

[J0501/240822]

新城拓也『患者に早く死なせてほしいと言われたらどうしますか?』

副題「本当に聞きたかった緩和ケアの講義」、金原出版、2015年。

オリエンテ−ション:緩和ケアをめぐる10の提言
1学期 痛みの治療と症状緩和
 第1講 痛みの治療1.─最初の対応
 第2講 痛みの治療2.─痛いと言わない患者
 第3講 痛みの治療3.─医療用麻薬の使い分け
 第4講 神経障害性疼痛
 第5講 呼吸困難・吐き気
 第6講 腹 水
 第7講 食欲不振1.─「食べる」悩み
 第8講 食欲不振2.─輸液
 第9講 倦怠感
 第10講 不 眠
 第11講 せん妄
2学期 鎮静と看取りの前
 第12講 鎮静1.─鎮静の説明
 第13講 鎮静2.─鎮静が必要な方へ
 第14講 看取りの前1.─死なせてほしい
 第15講 看取りの前2.─死の経過
3学期 コミュニケ−ション
 第16講 コミュニケ−ション1.─緩和ケアって何?
 第17講 コミュニケ−ション2.─がんの告知
 第18講 コミュニケ−ション3.─化学療法の中止
 第19講 コミュニケ−ション4.─余命告知
 第20講 コミュニケ−ション5.─家族ケア
 第21講 その他1.─患者の自殺
 第22講 その他2.─民間療法
 第23講 その他3.─医療者のバ−ンアウト
終業式のことば:あとがきにかえて

個人的には、せん妄の記述をチェックしながら。ほとんどのがん患者にはせん妄が出現する。せん妄は意識の夕暮れ時である。せん妄の患者はどこか呑気である。一方で、鎮静が必要になる原因の第一はせん妄であり、それは患者・家族・看護師ともにつらい体験である。

「終末期せん妄は過活動せん妄を回避し、低活動型せん妄の状態に誘導する、つまり「穏やかさ」を取り戻す治療が目標となります。・・・・・・穏やかに亡くなることができない患者のほとんどは、このせん妄による不穏が強いためです。鎮静の対象となる症状で一番多いのがせん妄です」(194)。

「特別な一日」ということ。「経験的に、患者と医師の間、家族と医師の間には「特別な一日」が訪れることがあると以前から感じています。この日は何かいつもと違うことが起こります。例えば、それまで落ち着いていた患者の痛みが急に強くなったり、全く別の用件で対応している間に、患者が人生におけるとても大事な話を語り始めたり、たまたま廊下で出くわした家族から患者の重大な問題点を告白されたりと、不思議なタイミングで急に「特別な一日」は訪れるのです」(19)。「「特別な一日」は、医師と患者、家族との間に心と心のつながりが生まれる大切な日になることが多いのです」(20)。「「特別な一日」の訪れを見失わないようにするには、結局医師の直観だけが頼りです。・・・・・・自分の直感が十全に働くような自分になれるよう、毎日自分の心身をメンテナンスすることが医師には求められるのです」(20)。

また、著者は、医師という職務を全うするためには、「自分を割れ」「社会的な役割を演じきれ」と述べる。その際、「たった一つの本当の自分」という見方を否定して、複数の顔がすべて「本当の自分」だとする、平野啓一郎氏の所論を引いている。

「病気は患者のもの」。「開業し2年が経とうとしている今、「患者の病気は患者のもの。医者や病院が取り上げてはいけない」と思うようになりました」(293)。

[J0500/240819]