Month: September 2020

覚えておこう、H・マーティノー

ちょっとした成りゆきで、ハリエット・マーティノー(1802-1876)なる人物を調べることになったが、あと50年も経てば、E・B・デュボイスあたりとともに社会学の教科書に必ず載るようになるのではないか。下記の本で「忘れられた社会学者」と書かれたのが2001年、それから20年が経過しているから、海外ではすでに再評価も進んでいるのかもしれないが、日本ではまだのように思う。

マーティノー再評価をめざした下記の論集のタイトルを眺めるだけでも分かるとおもうが、いろんな角度で有望な鉱脈すぎる。ジェンダー、障害(晩年唖者になっている)、アメリカ論とその人種主義批判、経済思想、ユニテリアンやコント流の実証主義との関係、さらにナイティンゲールとも繋がりがあったとは。

Michael R. Hill and Susan Hecker-Drysdale, Harriet Martineau: Theoretical and Methodological Perspective. (Routledge, New York, 2003[2001]).

イントロダクション
第1章 教室で、その外で、マーティノーを真剣に取り上げる
第2章 マーティノーとユニテリアンとの関係
第3章 レモネードをつくる:唖者になったマーティノー
第4章 マーティノーとトクヴィルの方法論的比較
第5章 「事物」の意味:マーティノーとデュルケームの理論と方法
第6章 「仕事を語る」:マーティノーによる仕事と職業の社会学I
第7章 「仕事を語る」:マーティノーによる仕事と職業の社会学II
第8章 ナイティンゲールとマーティノーの共同作業
第9章 マーティノーとコントの実証主義
エピローグ マーティノー社会学とこの分野の未来 

[J0088/200914]

ホーン川島瑤子『アメリカの社会変革』

ちくま新書、2018年。

第1章 人種と移民
第2章 女性たちが牽引した社会変革
第3章 LGBTの平等要求運動の勝利
第4章 オバマからトランプへ

なるほど、人種問題、ジェンダー問題、LGBT問題をばらばらに扱うのではなく、アメリカ社会の歴史に乗っけて説明をするというコンセプト、この本だけでそれぞれの思想内容を深く知るというのは難しいにしても、概観としておそらく例のない有益な一冊。社会思想の内容を知るには「流れ」が分からないと分からない面があるけど、そこをフォローしてくれる。

Black Lives Matter が日本で認知されたのは、今年2020年5月のジョージ・フロイド事件からの流れではないかと思うが、この本はすでにBLMの説明も含んでいる。

「おわりに」でも筆者自身が触れているが、オバマ政権の登場にいたるまで社会の「進歩」が進み、次にはヒラリーが女性大統領になるという想定が裏切られて、トランプ勝利という「逆コース」の始まりに困惑しているところがまた別の意味で面白い。

行きすぎた抑圧が逆に強い反発と改革を生むなんてことは歴史上よくあることで、昨今のBLM運動の高まりをみたら、トランプ政権の理不尽さが逆にいちはやい改善へと機能しないかと期待してしまう。

[J0087/200912]

将基面貴巳『ヨーロッパ政治思想の誕生』

名古屋大学出版会、2013年。

序 章
第1章 12世紀人文主義と政治思想
     1 ジョン・ソールズベリーとスコラ学的人文主義
     2 ジョン・ソールズベリーの政治思想
第2章 教会法学と権力論の成長
     1 中世教会法学と政治思想
     2 教会内部の権力関係
     3 聖俗両権に関する教会法学理論
第3章 アリストテレス政治学の衝撃
     1 「アリストテレス革命」再検証
     2 アリストテレス『政治学』の翻訳・受容の思想史的意義
第4章 教会権力論の発展
     1 教会論における権力論
     2 教会と世俗の権力論
第5章 政治共同体論の自立
     1 ダンテ
     2 マルシリウス・パドゥア
第6章 教会論の転回
     1 ダンテとマルシリウスの教会論
     2 ウィリアム・オッカム
第7章 危機の教会論
     1 ジョン・ウィクリフ
     2 公会議主義
     3 「政治に関する学」の拡散
終 章 ヨーロッパ政治思想の誕生

中世ヨーロッパ思想というと、出てくる人名も語彙もなじみがなくて読みにくいが、この本は最大限リーダブルに書かれている。

13世紀後半から14世紀前半における「政治に関する学(scientia civilis)」の成立が焦点だが、「アリストテレス革命」の影響を相対化するともに、それ以前の「権力」論の展開に政治的思想成立の先行条件を認める。

いちばんおもしろく感じたのは、ウィリアム・オッカムの記述。「オッカムが政治思想的著作に手を染めたのは、教皇庁が異端に陥ったという認識を直接的契機とするもの」(189)であって、彼の神学や哲学の派生物ではないという。オッカムは、「異端」という概念の根本的な再定義を行い、教会権威の宣言によるとする従来の権威主義的な理解から、聖書の記述内容によって発見されるべきものへと異端の理解を根本的に転換させたのである(194-197)。

そこには人間に「神と自然によって与えれられた自由」として、信仰について正しく理解し判断する「自由」を認める立場が伴っていた。「個人の自律性に根拠を有する自由の重要性を理論的に弁証し強調したのは、おそらくオッカムをもって嚆矢とする。権力論の伝統は14世紀の初頭において、本格的な自由論を誕生させるに至ったのである」(208)。

この本の読みやすさのひとつは、世俗権力と教会権力の対立関係、人間の判断能力に対する信頼、個人的自由の賞揚など、中世にとどまらないヨーロッパ思想全体を貫くモチーフを念頭におきながら、その中世的展開を辿っているところだろう。上記のオッカム論など、その延長線上にルターやカントがいることについて、容易に想像がつくような記述になっている。

[J0086/200912]