筑摩選書、2014年。『いずれくる死にそなえない』(2021年)から、遡って読む。『いずれくる死にそなえない』では、寝たきり欲望支援といった「幸せ」そのものの理解に踏み込んでいたが、本書では幸福に対する医療の貢献の部分により焦点が絞られているので、議論がよりシンプルでわかりやすくはある。『いずれくる』をさらに理解するためにも、二書をあわせて読みたい。
第1部 長寿国日本の現実
1 世界一の長寿国の現実
2 健康、寿命、幸福
3 健康、寿命、幸福を詳しく把握する方法
第2部 予防・治療のウソ
4 高血圧と脳卒中
5 がん検診は有効か―乳がん検診を例に
6 認知症早期発見の光と影
7 ワクチン接種がなかなか進まない日本
第3部 医療の役割
8 医療はどうあるべきか
9 解決のための処方箋
終章 どこへ向かうべきか
なるほどという観点がいくつも含まれているが、そのうちのひとつ、欲望のコントロールの必要性を社会の時代的発展との関係から捉えて、いまが過渡期とみる観点。
「太古、人は食欲も健康欲も十分には満たされないが、たまには満たされることもあった。生まれて間もなく死んでしまう人が多数を占め、生存欲があるにもかかわらず、死ぬことを受けいれていた。その時代は、食欲もまたコントロールの対象だった。食べ物が足りないため、食欲をコントロールしなければならなかったのだ。食欲は常に満たされず、大部分の人は早く死んでしまう。食べたい、生きたいという欲望が満たされない絶望の時代である。
「やがて農耕が始まり食欲は満たされるようになっていく。しかし医療はまだ呪術の段階で、「生きたい」という欲望がかなえられるのはまだごく少数にすぎない。食欲を満たす希望の時代であるが、生存欲についてはまだ絶望が続く。
「そして、医学の発展により、生存欲も満たされる時代が来る。ところが食欲については、その後希望の時代が過ぎ、供給過剰になって、むしろコントロールする必要が出てきた」(248)。
「それでは、健康欲はどうか。健康欲も同じである。ただ健康欲はまだ希望の局面にある。そうだとすれば、サイクルに沿って、当然この先は、行き過ぎた健康欲をコントロールしなければいけない局面が訪れる。
「現代とはそういう時期なのではなか。時間軸で見てみても、健康欲はコントロールされる時期に来ているように思われる」(249)。
「死なないようにするための医療は、もはや長寿世界一を達成した日本では限界にきている。害悪すら、もたらしているかもしれない。70歳を過ぎてから急激に死んでいく長寿社会においては、死なないようにする医療だけでは不十分である。再び、「死ぬからこそある医療」が必要になってきている」(199)。
パラフレーズ。現代日本では、寿命に達する前に迎える死が減少したという意味での「生存欲」は満たされつつある。いまの医療はそれでも「生存欲」を煽り立てるが、栄養十分な状態に到達すれば過度な食欲をコントロールする必要が生じるように、「生存欲」をコントロールすべき段階に来ている。それは、健康を目的とした食のコントロールが断食ではないように、生存を諦めることでも医療を放棄することでもない。幸福を目的とした生存欲のコントロールということである。
[J0559/250209]