生活の医療社、2021年。やはり、本は読むものだ。こういう本があるのだからなあ。健康志向、死生観の確立、安楽死推進、「迷惑をかけない死」、こういったことすべてに反対してきた僕にとって、重要なピースを与えてくれる一書。なお、僕は「平穏死」にも納得していない(まだ、正面から検討・対決してないけれども)。この本は、平穏死の勧めでもない。

自分自身の生き方の指針に関しても、本書によってピントがぐっと合うような感覚がある。EBMの第一人者である臨床医が、こういった議論をしているということもおもしろい。

1章 健康欲望から死の不安へ
2章 死について―まず電車の話で
3章 死について―死を待つものたち
4章 医療は高齢者に何を提供しているか―加齢と健康、そして死
5章 「寝たきり欲望支援」から「安楽寝たきり」へ
6章 死を避けない社会
終章 死をことほぐ社会

一見、逆張りやひねくれのようにみえるかもしれないが、きわめて現実に即した議論である。それは、高齢者の客観的現実を特定の立場から判断しているという意味ではなく、現実に生きて死んでいく人びとの生活の「感触」をすくいあげているという意味においてである。著者の語り口には、生き方・死に方を論じる人のほとんどとはちがって、仰々しいところや深遠風なところがない。露悪的でも肩肘を張ってもない。自分自身の「無力感」からはじめて、それでいて散文風に、最初から社会的領域から離れたところで書くのではなく、ひとつの思考を提示し、社会に提案している。

以下にちょっとだけ抜き書きをしてみるが、抜き書きに適した本ではない。実際に本文を読むのでなくては。以下は、あくまで内容の見出しである。

「仕事もプライベートも重要ではない、そう考えることで新たな展望が広がるのではないか」(23)。

「命が一番大事ということを死んではいけないということにつなげてはいけない」(43)。

「個人個人において、お金や健康、人とのつながりが重要でない社会というのはとてもいい社会ではないだろうか」(105-106)。

「寝たきりも実はさまざまである」(173)。

「これからは、むしろ「寝たきりになりたい」という欲望形成を支援していなくてはならない」(207)。同時に「いくら寝たきりが安楽であっても、寝たきりだけで生きるのは安楽ではない。寝たきり以外の欲望形成支援も重要だ」(237)。

[J0486/240714]