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瀬戸一夫『コペルニクス的転回の哲学』

勁草書房、2001年から、第一章「思考法の革命とカントの批判主義」(pp.5-57)。

第一章 思考法の革命とカントの批判主義
第一節 形而上学の歴史とカントの着想
第二節 複眼的な視点と学的視座の取得
第三節 理性批判と古典古代的民主法廷

カントの「コペルニクス的転回」――この言葉を使ったのはカントが最初ではないという指摘もすでになされているという――には、いくつかの解釈がある。ひとつは、カントが主観の奥深くで働いている理性が対象世界の能動的な産出者であることを明らかにしたとして、「転回」を新しく獲得された立場と捉えるW.ヴィンデルバント流の解釈である。もうひとつは、カントが明らかにしたことは、認識と対象の関係には「回転」的な性格があることだとして、「転回」を「回転」と捉えるH.コーヘン流の解釈である。

さらに、E.カッシーラーは、「カントが試みたのは、それまでもっぱら対象の構成へと向かっていた認識の方法を、理性そのものへと「向き返らせる」ことであった」と解釈する(17)。「コーヘンとは異なって「認識の仕方」そのものが対象の構成を介して回転しているというのではない。カッシーラーの場合、理性の営んでいる対象構成的な認識が、理性自身を反省する方向へと転回するのである」(17)。すなわち「理性の自己反省」であり、コペルニクス的転回とは一種の「転向」である。これは、「理性の二重化」というカント自身の議論とも一致するようにみえる。ただ、その「理性の二重化」の内実はいぜん曖昧である。

さらに、K・R・ポパーの解釈。「コペルニクスはわれわれ人間主体を特権的な位置(宇宙の中心)から引き離すと同時に、仮説を創造する主体としてすべての事柄の中心においた。「ある意味において、宇宙がわれわれの周りを回っていることをも示している」。ポパーはこのように、人間を単なる観察者の地位から仮説創造者の地位へと転換させたことが、コペルニクス的転回の真相だと考えている。そしてかれは、中心から離れ、しかも中心に立つといった「この両面的意義」こそが、コペルニクス的転回の最も重要な特徴にほかならないと述べている」(25)。さら進んでカウルバッハは、コペルニクスでは「すべての可能なパースペクティヴの選択を許す根本的なパースペクティヴ」があらかじめ取得されていることを強調しているという。

本論文では、二重とされる理性の位置が問題とされているわけだが、それを裁判官や証人からなる法廷闘争のモデルから解釈し、そこには古代ギリシア民主法廷(民会)の色彩が濃いことを指摘する。

「人々が普遍的な真理として共有する知識は、あらゆる意味で確実な、それゆえ無条件に万人の安寧を保証するような根拠をもつものではありえない」(52)。「カントがコペルニクス的《転回=革命》の源流として〔「驚嘆すべき民族」としてのギリシア民族の営みについて〕洞察したのは、このように、今日のわれわれからは想像を絶するほどの不確かな現実のもとで、不可抗的に基盤を失わざるをえなかった人間理性が培う、絶え間なき思考様式の刷新にほかならなかったのである。カントは法廷モデルの理性批判において、カテゴリーという共通のルールが、凄惨な死闘を生産的な権利闘争へと変換するための要になると考えたようである」(52-53)。

(思いつきでパラフレーズしてみると、ギリシア民族=カントが追究したことは、神的存在を根拠とする知識とは区別される、文化的・歴史的共同体内における間主観的な知識であり、間主観的でしかありえない知識の構造であり、それゆえに発展が生じうる知識ということであろうか。クーンのことも連想する。)

観測事実(正命題)「太陽は東から昇る」に対して、コペルニクスは「太陽は東から昇るのではない」という反対命題を提示する。このふたつの命題は全面的に対立しているのだが、しかし両者を総合補完的に支えあうことを可能にしているのが、「コペルニクス的判決」の特異性であり、カントの理性批判の要に置かれているものである(54-55)。

以上、第一章抜粋。さらに次は「結語:革命的思考法の老朽化と幻想倫理」から、ほんのちょっと抜き書き。

「ニュートン力学という一完成形態をとったコペルニクス的転回は、この転回によって形成された近代科学の――同時にまた宗教・政治的な――パラダイムのもとで、急速に発展する西欧近代の資本主義と連携し、諸科学の絶え間ない《刷新=革命》過程を永続化させる。そして、この過程と連動するかのように、カントを経てフィヒテの思考様式に結実したこの《転回=革命》は、近代社会そのものをかたどる最広義のパラダイムとして、現代でもなお機能しつづけているのである。この点で西欧近代とは、コペルニクス的《転回=革命》が人間活動の諸領域にむけて、それらの末端までを制覇する、いわば「革命輸出のプロセス」にほかならなかった」(191)。

「近代社会では、物資、人材、サービス、情報、等々の流通が常態化している。・・・・・・前近代の観点からすると、戦時に見られるような大規模かつ社会生活の細部にまで及ぶ広範な流動が、近代社会では常態化しているのである」(192)。「動く大地のように流通が常態化した社会では、物質宇宙と同様、加速度を制御するメカニズムだけが秩序の形成を成し遂げる。この点で近代社会の発展は、天空の理解にむけてニュートンが完成させたコペルニクス主義を、われわれ人間の諸活動へと大規模に適用することで緒についたともいえそうである。しかも、本論で示したように、コペルニクス転回はあらゆる視点への移行を保障することで、いかなるシステムであろうともその相対化を可能にする。これによって、コペルニクス的近代は異質な諸システムをすべて呑み込みながら、静と動の区別を失った経験世界へと回帰し普遍化する」(193)。

[J0521/241008]

横井軍平・牧野武文『横井軍平ゲーム館』

副題「「世界の任天堂」を築いた発想力」、ちくま文庫、2015年、原著1997年。任天堂の快進撃を牽引した稀代のゲームクリエイター、横井軍平の仕事と人を盛り込んだ一冊、そのクリエイティビティにあてられる。横井さんの仕事がすごいのは、アナログ玩具とデジタル玩具、ハードとソフトの両方で画期的な商品を開発していることだ。
 玩具史としておもしろい、横井さんの人となりがおもしろい、それから横井さんの「反・職人」の仕事哲学がまた抜群におもしろいというので、少なくとも三種類の読み方ができる本。

第1章 アイデア玩具の時代 1966-1980
第2章 光線銃とそのファミリー 1970-1985
第3章 ゲーム&ウオッチの発明 1980-1983
第4章 ゲームボーイ以降 1989-1996
第5章 横井軍平の哲学 1997-20XX

話のはじまりは、横井が仕事中にさぼりながら作った「ウルトラハンド」について、山内溥社長が商品化を命じたこと。ずっと後のことになるが、アーケードゲーム「ドンキーコング」を開発するときに横井が「引っ張り込んだ」のが、宮本茂で、このときにポパイの翻意としてマリオが誕生することになる。

ファミコン世代としては、「ワイルドガンマン」や「ダックハント」は、ファミコンが売れて新たに開発したソフトだとおもっていたが、むしろそれらの方が先で、そこにある種の本質があったという話。ファミコンロボットも「流行のあだ花」のように受け止められていたとおもうが、すでにテレビゲームに食傷気味だったアメリカ市場にNintendoのファミコンが受け入れられる、その導火線になった存在であるらしい。

それから、ファミコンに先立つ「ゲーム&ウオッチ」が偶然から、電卓技術をもつシャープと連携することになり、実現した話。

任天堂がもともと花札やトランプのメーカーであったこととも結びつけたくなるが、横井軍平はゲームの本質をアイディアに求めていて、「だから、テレビゲームが何万色とかそういうことを追いかけだしたとき、これはゲーム本来の世界とは違う方向に動いているな、感じたんですね」と述べている(157)。「ゲームの本質はアイデアなんで、「アイデアが出てこない」というのは単なるアイデアの不足なんですね。ところが、テレビゲームにはそのアイデア不足の逃げ道があった。それがCPU戦争であり、色競争なんです」(158-159)。

いや、たしかにファミコン、とくに任天堂のソフトは、余計なものを削ぎ落とした感覚があったし、その哲学はこの会社に受け継がれている気がする。「ファミコンが一番おもしろい」という印象は、たんに世代的なノスタルジーだけでもないのかもしれない。

[J0520/241005]

平雅行「中世宗教の成立と社会」

高埜利彦・安田次郎編『新体系日本史15 宗教社会史』、山川出版社、2012年、pp.28-56。中世宗教の概説であるが、顕密仏教と鎌倉新仏教の意義を改めて捉え直して、小篇ながら含意に富む。

 1 古代宗教の中世化
 2 顕密仏教と中世国家
 3 鎌倉仏教の展開
 4 中世宗教と社会

平安浄土教の「現世主義的来世観」。「かつて井上光貞氏は、平安浄土教を前世否定の宗教ととらえたが、それは妥当ではない。「現世安穏、現世善処」の語が流布したように、人びとは現世と来世の安楽を求めていた。「厭離穢土・欣求浄土」は建前にすぎない。現世を祈る密教と、来世を祈る浄土教は同じ軌跡をたどりながら発展しており、①鎮護国家の祈り、②自己の現世の祈り、③自己の来世の祈り、④死後の冥福の祈りの四要素は矛盾なく併存していた。中世は基本的に宗教の力によって現世の安楽を獲得しようという宗教的現世主義の時代であり、浄土教とてこの世の安楽が来世にも続くよう望んだものである。いわば現世主義的来世観とでもいうべきものが、平安浄土教の基本的性格であった」(30)。

「出家には、寿命延長と極楽往生の両機能が備わっていた。事実、『平家物語』には平清盛が「存命のために忽に出家入道」したおかげで、病が治って天寿をまっとうしたと、と述べている。・・・・・・現世と来世にわたる両義的機能をもっていたゆえに、出家も、浄土教も、中世社会に広汎に定着することができたのである」(32)。

また著者は、鎌倉新仏教中心史観批判の一環として、旧仏教の鎮護国家や五穀豊穣の祈りが、民衆の生活にとっても重要な意義を有していたことを強調する。「顕密仏教は中世の支配イデオロギーであったが、こうした民衆的基盤があったればこそ、それは支配イデオロギーとして機能しえたのである」(36)。

さらに著者は、悪人往生や悪人正機、易行としての口承念仏の観念が、法然・親鸞以前にあったことを『中右記』や『梁塵秘抄』などを参照しながら示している。「仏教の民衆開放は法然・親鸞たち鎌倉新仏教がはじめて行ったのではない。すでにそれは顕密仏教の手によって達成されていた」(37)。

改めて、「異端」としての鎌倉新仏教の意味について。「顕密仏教はたしかに民衆の世界にまで仏教を広めた。しかしそれは、民衆の内面を呪縛することでもあった。・・・・・・その原因は領主による神仏の独占にある」(41)。「顕密仏教や改革派が仏法を王権に奉仕するものととらえたのに対し、異端派は仏法至上主義の立場から社会の矛盾を厳しく批判した。その点で彼らの思想には、中世の支配秩序を崩壊させかねない危険性があった」(43)。

「宗教的暴力」という視点。中世における暴力と宗教の未分離、さらには戦争と宗教の未分離(45)。「顕密仏教の真の強さは、その文化的影響力の巨大さにあった。良きにつけ、悪しきにつけ、顕密仏教は中世社会のあらゆる領域に大きな影響をあたえている。彼らの強靱さをその軍事力や経済力に求めるのでは、事の本質を見失うことになるだろう」(46)。

[J0519/241004]