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石塚尊俊『顧みる八十余年』

副題「民俗採訪につとめて」、ワン・ライン、2006年。著者の調査研究歴をたどった自伝的記述だが、このほかに『民俗学六十年』(一九九八年)があるので、本当はあわせて読む必要がありそうではある。

1 サエの神に始まって
2 タタラ・金屋子神をたずねて
3 納戸神との出会い
4 俗信の由縁を探る
5 イエの神・ムラの神、年頭行事
6 離島を訪ねて
7 奥所の神楽
8 民俗の地域差を考える:北陸同行地帯と安芸門徒地帯

とくに戦前における、著者若かりき頃の民俗採集には、知られる民俗がまだまだたくさん埋もれていた頃の夢がある。著者は國學院大學在学中に折口信夫の講義を受けており、公開講演として柳田國男の話も聞いている。たたらについて書いた論考が柳田の目にとまるなどのこともありつつ、1946年に直接、柳田國男を訪ねるにいたっている。

いまからみれば、あれこれの論文を読む以上に、こうした調査記録の方がおもしろい。民俗事象を切り取って論じるタイプの民俗学的な論文は、本来、調査記録すなわちフィールドノートとセットで読まれる必要(したがって書かれる必要)があるのではないか。その意味では、このように自身の調査研究歴を記して出版できた氏のようなケースは幸運である。

[J0551/250122]

高取正男『宗教民俗学』

法蔵館文庫、2023年。

■「幻想としての宗教」
 禁制キリシタンやかくれ念仏に言及。

■「遁世・漂泊者―本源的二重構造の問題―」
 水稲耕作の定住社会は自律していたのではなく、その存続に、非定住漂泊民の存在を必要としていたのでは。

■「宗教と社会―信仰の日本的特性―」
 堀一郎の説をひいて、「日本では神道がその原初形態をととのえたとき、すでそれは政治的価値の優越をみとめるような世俗的宗教 secular religion の性格をつよくもっていたと推定されている。したがって、日本では近世ヨーロッパのキリスト教社会でいわれる宗教の世俗化 secularization の過程は存在しない」(54-55)。
■「村を訪れる人と神―日本人の信仰―」
 いわゆる他所者の意味、村と外部との接触、村を訪れる者の性格、人神の信仰、遊幸神の成立、遊幸信仰の展開。

■「山と稲と家の三位一体―日本民族信仰の根幹―」
 
■「死生の忌みと念仏―専修念仏と民間信仰―」

■「地蔵菩薩と民俗信仰」

■「信仰の風土―天川弁才天―」
 静御前の長さ八尺の髪の毛を宝物としていたという、吉野天川坪内の弁財天。髪の毛の霊力、修験、弁財天の由来。

■「奈良仏教の展開」
 『日本仏教史』に寄せられた、かなりがっちりした時代史。

■「天皇と神の間―古代的政教分離をめぐって―」
 律令制とは、古い神権政治の拒否であった。「おなじ古代でも、神々と天皇の間は律令以前と以後で、大きく違っていたといわねばならない」(329)。

■「救世主としての教祖―行基の場合を中心に―」

■「民間仏教を開発した空也」

■「解説」(柴田實):ごく短い文章。

■「文庫版解説――「楽園」の光と影」(村上紀夫)
 高取正男の父親、才助が経営者として成功者であった点に注目。高取とマルクス主義との関係について記す。

[J0550/241227]

川島秀一『いのちの海と暮らす』

副題「日本の沿岸漁業民俗誌」、冨山房インターナショナル、2022年。
スズキ、メバル、タラ、カツオ、サメ、カレイ、汽水域のシロウオ、それにクジラやイルカ、トドやオットセイなどの漁の世界を、漁師の視線に寄り添いながら詳らかに描く。そこには、サラリーマンのものとはもちろん、農業のそれともまったくちがった論理がある。

第一章 漁師が語る海
 1 スズキ釣りは辛抱釣り
 2 海の花咲かせるメバル釣り
第二章 漁師が書く海
 1 飛島の「山帳」における書承
 2 村上清太郎翁の漁業記録
第三章 汽水域と沿岸漁 
 1  湾史における汽水域
 2 シロウオ漁の生活誌
第四章 沿岸のクジラ捕り 
 1   沿岸小型捕鯨の民俗
 2 追尾士の捕鯨記録
 3 三陸沿岸の海獣漁
第五章 日本の沿岸広域漁業 
 1 追込み漁の自然観
 2 ケンケン漁の始まりと伝播

著者が迫ろうとする漁師たちの民俗は、前近代のそれには限らない。新しい技術や機械にも、民俗はあるとみている。新しい漁法が開発され伝播する――著者はこれも「伝承」と呼ぶべきだとする――しかたは、農村のそれとはやはりちがう種類のものだろう。範囲においても日本国内にもかぎられていないし、おそらくは速度についても、ずっとダイナミックな様相。

さまざまな「伝承」を経て開発されてきたカツオなどのケンケン漁について、「ケンケン漁などの曳き網漁は、小さな漁業であったからこそ、大きな社会の変化に対して生き残ってきた。さまざまな個人的な工夫で漁労技術を発達することができたのも、人間の工夫が目に見えて現れやすい小型の漁業であったからである。齢を重ねてもでき得る漁であり、これがあるために、個人や一家族の通年の収入を安定させてきた面もある。ことさらに海から生産力を上げなくても、目の前の海で生活できる幸せこそ守るべきものと思われる」(253)。

「おわりに」では、2018年の水産改革や、そこにおける数値目標の設定という管理方法に異を唱えている。漁師の生き方を見つめつづけ、いまは自分自身も漁師として福島に暮らす著者のことばは重い。

[J0549/241218]