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打越正行『ヤンキーと地元』

副題「解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち」、ちくま文庫、2024年、底本は2019年。ちくま学芸文庫ではなくてね、なるほど。

第1章 暴走族少年らとの出会い
第2章 地元の建設会社
第3章 性風俗店を経営する
第4章 地元を見切る
第5章 アジトの仲間、そして家族
補論 パシリとしての生きざまに学ぶ―その後の『ヤンキーと地元』
解説 打越正行という希望(岸政彦)

著者の論文類を読んだことがないので、この本だけの感想を。

魅力ある著者による、魅力ある人たちを描いた、凄いエスノグラフィーとして賛辞を寄せることはもちろんできるが、それで済ましていいのだろうかとも思う。『ハマータウンの野郎ども』と比べる向きともあるが、あちらがかなり高度で周到な理論的考察とセットになっているのに対し、この本はひたすら記述に徹していて、およそ理論的考察のようなものはない。おそらくは意識的に避けている。

調査という営みは相当不自然なことだと思うが、著者が調査にかける情熱がどこからくるのか、謎に思われてくる。その情熱の強さや対象に対する「誠意」がひしひしと伝わってくるだけになおさらだ。大学教員は、学生にこんな、ものになるかどうかわからない調査を勧めることはできないだろう。自分で決意して自分で取り組む人にしか、こんな調査はできない。

岸さんの解説も、この本に関してはいまいちだ。「沖縄の語り方を変えた」というが、従来の沖縄イメージの是正ないし多元化のようなことが、ことの本質だとは思えない。むしろ、ごろっと手応えのある謎ないし問いかけを、読者の眼前にただ黙って置いていくような書と思える。

[J0552/250123]

石塚尊俊『顧みる八十余年』

副題「民俗採訪につとめて」、ワン・ライン、2006年。著者の調査研究歴をたどった自伝的記述だが、このほかに『民俗学六十年』(一九九八年)があるので、本当はあわせて読む必要がありそうではある。

1 サエの神に始まって
2 タタラ・金屋子神をたずねて
3 納戸神との出会い
4 俗信の由縁を探る
5 イエの神・ムラの神、年頭行事
6 離島を訪ねて
7 奥所の神楽
8 民俗の地域差を考える:北陸同行地帯と安芸門徒地帯

とくに戦前における、著者若かりき頃の民俗採集には、知られる民俗がまだまだたくさん埋もれていた頃の夢がある。著者は國學院大學在学中に折口信夫の講義を受けており、公開講演として柳田國男の話も聞いている。たたらについて書いた論考が柳田の目にとまるなどのこともありつつ、1946年に直接、柳田國男を訪ねるにいたっている。

いまからみれば、あれこれの論文を読む以上に、こうした調査記録の方がおもしろい。民俗事象を切り取って論じるタイプの民俗学的な論文は、本来、調査記録すなわちフィールドノートとセットで読まれる必要(したがって書かれる必要)があるのではないか。その意味では、このように自身の調査研究歴を記して出版できた氏のようなケースは幸運である。

[J0551/250122]

高取正男『宗教民俗学』

法蔵館文庫、2023年。

■「幻想としての宗教」
 禁制キリシタンやかくれ念仏に言及。

■「遁世・漂泊者―本源的二重構造の問題―」
 水稲耕作の定住社会は自律していたのではなく、その存続に、非定住漂泊民の存在を必要としていたのでは。

■「宗教と社会―信仰の日本的特性―」
 堀一郎の説をひいて、「日本では神道がその原初形態をととのえたとき、すでそれは政治的価値の優越をみとめるような世俗的宗教 secular religion の性格をつよくもっていたと推定されている。したがって、日本では近世ヨーロッパのキリスト教社会でいわれる宗教の世俗化 secularization の過程は存在しない」(54-55)。
■「村を訪れる人と神―日本人の信仰―」
 いわゆる他所者の意味、村と外部との接触、村を訪れる者の性格、人神の信仰、遊幸神の成立、遊幸信仰の展開。

■「山と稲と家の三位一体―日本民族信仰の根幹―」
 
■「死生の忌みと念仏―専修念仏と民間信仰―」

■「地蔵菩薩と民俗信仰」

■「信仰の風土―天川弁才天―」
 静御前の長さ八尺の髪の毛を宝物としていたという、吉野天川坪内の弁財天。髪の毛の霊力、修験、弁財天の由来。

■「奈良仏教の展開」
 『日本仏教史』に寄せられた、かなりがっちりした時代史。

■「天皇と神の間―古代的政教分離をめぐって―」
 律令制とは、古い神権政治の拒否であった。「おなじ古代でも、神々と天皇の間は律令以前と以後で、大きく違っていたといわねばならない」(329)。

■「救世主としての教祖―行基の場合を中心に―」

■「民間仏教を開発した空也」

■「解説」(柴田實):ごく短い文章。

■「文庫版解説――「楽園」の光と影」(村上紀夫)
 高取正男の父親、才助が経営者として成功者であった点に注目。高取とマルクス主義との関係について記す。

[J0550/241227]