太郎次郎社エディタス、2018年。

第一部 [精読] 一字一句をつまびらかに
第二部 [始末] 来しかたとゆく末
 第1節 起草者それぞれの思惑
 第2節 徳目はどこから来たか
 第3節 「君主の著作」の法的地位
 第4節 モノとしての教育勅語──原本と謄本
 第5節 物神となった謄本と「御真影」──学校儀式と不敬事件
 第6節 教育勅語と学問の自由
 第7節 揺れる教育勅語解釈
 第8節 失効後に残ったもの
第三部 [考究] これまでにわかっていること
文献案内
資料(抄録)

なるほど、平明でていねいな説明に、逆に著者の執念がうかがわれる一冊。なるべく多くの人に手に取ってもらいたいという意志を感じる。

商売柄、教育勅語が、明治国家のあれこれの意図のもとに、中国儒教や近世水戸学などからパーツを集めて創った近代的な構築物だということは共通認識としてある。この点を説明する一般書としては、本書が決定版とも言える。

個人的に、むしろ分からないのは、いまの教育の文脈で教育勅語を持ち出す人たちの心理とか認識。天皇を崇拝する人がいること自体は、そういう人もいるだろうと理解できなくもないが、天皇の崇敬と教育勅語を直結させる発想の人がよく分からない。その種の天皇崇敬って、どこまでいっても明治的=近代的なものでなくちゃならないんだろうね。『梁塵秘抄』をあがめるとか、ないのかな。

[J0200/210918]