副題「超長寿時代の「身じまい」の作法」、光文社新書、2018年。

序章 「ご長寿本」ブームのその先
第1章 「普通の元気長寿者」の日常生活
第2章 元気長寿者にとって、「歳をとる」ということ
第3章 家族の揺らぎと長寿期生活リスク―「ヨロヨロ期」のために備えない高齢者たち
第4章 昭和期生まれ高齢者と「歳をとる」ということ
第5章 「ヨロヨロ期」の超え方、「ドタリ」期への備え方
第6章 今、何が求められているのか―「成りゆき任せ」と「強い不安」の間
終章 長寿時代を生きる「身じまい」のすすめ
おまけの章―「具体的な準備」の一例

看取る側としても、将来看取られる側としても、人ごとではない話。

僕自身、調査論文の中で「「今を一生懸命生きる」という人気の言い方は、自分が衰えた状態を考えたくない逃避の一種である可能性がある」という趣旨のことを書いて、そのことをずっと気にしている(「死と「迷惑」」)。この本でも、70歳・80歳を超えてなお、「ネガティブなことは考えない」とか「成りゆき任せ」にして、「意思表示をしない」人たちがいかに多いか、ということが述べられている。著者の言い方では、平均寿命の延伸について「ピンピンコロリ」や「生涯現役」ばかりが訴えられ、「身じまい文化」の重要性が気づかれていないという。

著者はまず、「成りゆき任せ」になる制度的背景として、介護保険の利用が、病気やケガで倒れたときにはじめて、手続きや契約が開始される点にあると指摘(228)。それから、昭和期生まれ高齢者は、① 兄弟姉妹数が多く、介護経験のない人が多い、②地域のつながりが薄れ、③病院・施設が普及して、身近に在宅暮らしの弱った高齢者と触れあう機会が少ない、といった仮説を挙げている(248-249)。これらはつまり、「人間はどんなに元気でも歳をとれば弱り、人の手助けを必要とするようになり、介護を受け、死んでいく」というあたりまえのことを知る人生経験が、昭和期生まれの高齢者には少ない」ということだと(249)。加えて、少子化という人口学的変化、この世代の親子関係の性格、子世代で生じた急速なシングル化といった社会変化が「根底的な理由」になっていると述べる(250)。この問題は、自分としても掘りさげていきたい。

この本を読んで気づくことのひとつは、案外と一人暮らしの人の方が、人任せにせず、自己決定や具体的な準備を進めるケースもあるということ。家族で暮らしている人のほうが、苦手な人がいるようだ。「先を考えて、決める」ということは、そういう実践の積み重ねと、もしかしたら一定の適性も必要だったりして、誰でも当たり前にできることではないのだなと。

この本で一番印象的なのは、とてもたいへんな状況を説明しているのに、危機をあおる感じがそれほどなく、どこか楽天的なニュアンスも漂っている著者の筆致。切羽詰まった状況だけでなく、生き生きとして暮らしている高齢者や、準備をしっかり進めている高齢者の実例を紹介してバランスがいいということもあるだろうし、家族社会学の第一人者でありながら、「社会問題を暴く」的な、大上段に構えたところのない筆者自身の姿勢の反映でもありそう。

[J0242/220225]