医学書院、2020年。というか、この「シリーズ・ケアをひらく」。このシリーズの質の高さは周知のことだけでも、この本もそうで、よくもまあこんなに良書を連発できるものだと、あきれるほどだ。

I ある日突然、世界は変わった
II 幻視は幻視と気づけない
III 時間と空間にさまよう
IV 記憶という名のブラックボックス
V あの手この手でどうにかなる
VI 「うつ病」治療を生き延びる

幻視をともなうレビー小体型認知症にかかった著者の、生活や体験の記述。著者自身の体験の記述は、東田直樹さんの仕事を思い出すような種類のものだが、著者の樋口さんは40歳を過ぎてから症状が出て、それとのつきあい方を築く過程があるだけに、一般社会やいわゆる「常識」の特徴をあぶりだす記述ともなっている。とくに後者についてメモ。興味ぶかい記述は多いので、とうていメモしきれないけども。

「私たちを社会から切り離すのは、単純な無知や根拠のない偏見ではなく、専門家の冷酷な解説だと私は感じていました。それは病気の症状そのものよりもずっと重いものでした。これは人災だと、私は思いました。そして人災であれば、変えることができると」(90-91)

ストレスはてきめんに「症状」を悪化させる。たとえば、コインの種類をまちがえることについて。「ただもしこれで一度でも店員さんから傷つくようなことを言われたり、周囲から一斉に白い目を向けられたりしたら、次からは財布を開くたびに緊張するようになるかもしれません。嫌な体験をしないことは、とても大切に思えます」(144)

「「認知症になると感情のコントロールもできなくなる」と言われますが、それは違います。ただ追いつめられているだけなのです。これまで数え切れない失敗とつらさを経験してきた私たちには、余裕がありません。「また気づかないうちに何か失敗するかもしれない」という不安を心の底に隠しながら、気を張り続けているのです」(147-148)

これ自体は認知症の話じゃないんだけど、「車いす体験をした子どもたちが、「こんなに大変だって、よくわかりました」と言うのを聞いて、「いや、そんなに大変じゃないよ、と思う」と車いすユーザーの熊谷晋一郎さんが話されて、一緒に笑ったことがあります」(170)。なるほどなるほど、たしかに社会的障壁のような大変もあるにしても、大変じゃないこともあるはず。かんたんに「大変だとわかった」と言ってしまうのは、想像力の欠如というか、停止かもしれない。「「できる」と「できない」の二つの極のあいだに無数のバリエーションがあることは、あまり知られてこなかったのです」(183)。

認知症はよく、中核症状と周辺症状という区分で説明される。この区分はたいへん有益と思うが、プレッシャーが幻覚を誘発するように、実際の症状では両者は強く関わりあってもいる。加えて本書第VI部では、薬の副作用と病気の症状を区別することは難しい、というテーマも扱われていてさらに入り組む。

本書・第I~V部と、第VI部ではぜんぜんテイストがちがう。第I~V部は、認知症とのつきあい方をある程度確立したあとの話で、落ちついた筆致。「あとがき」をみたら事情や後日談が書いてあったが、第VI部はかなり重い、苦闘の記録となっている。学問に詳しいとかではなくで、知的な勉強家で努力家の方なんだと、第VI部まで来ると改めて感じる。そういう人だから第I~V部の境地にまで辿りついたわけで、そうじゃないタイプで同じ症状を抱えた人の苦しみのあり方もちょっとだけ気になるところ。

[J0247/220305]