副題「首塚・胴塚・千人塚」、角川ソフィア文庫、2022年。原著は2015年出版で、その増補版。

序 章 「首塚」は、いかに語られてきたか
第一章 「大化の改新」と蘇我入鹿の首塚
第二章 「壬申の乱」をめぐる塚
第三章 平将門の首塚・胴塚
第四章 「一ノ谷の戦い」の敗者と勝者
第五章 楠木正成・新田義貞の結末
第六章 「関ヶ原の戦い」の敗者たち
第七章 「近代」への産みの苦しみ
終 章 「客死」という悲劇
補 章 彼我の分明──戦死者埋葬譚の「近代」

現地への訪問も含めて、全国の戦死塚を探究した一冊。全部は挙げられないが、登場するのは蘇我入鹿、大友皇子、平将門、平忠度、平敦盛、源義経、楠木正成、新田義貞、織田信長、石田三成、大谷吉継、小西行長、井伊直弼、近藤勇、大村益次郎、江藤新平、西郷隆盛など。

「正史」では簡単に無視されるだろう、多くの異説も含めた伝承の世界の豊かさに感銘を受ける。大化の改新や壬申の乱の昔でも、伝承があるんだな。記述には冗長さもあるけれど、この本全体が帯びている熱気の反面でもある。巻末には、全国1686例の戦死塚一覧表が付されている。

「同じ戦死塚でもあるにもかかわらず、祟る塚と、逆に人々に霊験を与える塚とが存在するのはなぜだろうか」(285)。「まず、両者の大きな相違点は、祟る塚は、そのほとんどが不特定多数の戦死者の亡骸が一緒くたに埋葬されたと伝えられている点である」(285)。ただ、耳塚や鼻塚は例外であると、著者自身も指摘している。また、客死している例を取りあげて「これらの事例をめぐってさまざまな怪異譚が伝えられるのは、当該の被葬者たちが故郷に帰ることができず、しかも親しい人たちから霊的処遇を受けることができなかったことに対する、人々の憐憫の情感が反映しているためではなかろうか」(289)。この種の考察になるともうひとつ腑に落ちない感じがして、マジレスするならば、戦死塚がある地域文化や歴史的事情――たとえば、その地域で支配的な宗派や独自の民俗心性など――を捨象して祟りの問題を語っているところが大きな欠陥になっているが、追究している問い自体はたしかに重要で興味ぶかい。

より納得できたのは、戦死者の処遇に関する変容の指摘である。「戦死塚からみた鳥羽伏見の戦いの特徴は、勝者と敗者の戦死者が、同一箇所・手法により埋葬されることが、けっしてなかった点である。換言すれば、勝者は味方の戦死者のみを厚遇し、敵はお構いなしという、それまでの日本の戦争ではほとんど聞かれなかった戦死者の霊的処遇のあり方が、この戦いを契機に出現したというわけだ。かつての怨親平等、戦いが終わればノーサイドとする価値観は後退したといえる」(301)。重要な指摘。本書では、意識的になのだろうか、靖国神社の問題には触れていないが、戊辰戦争の戦死者祭祀の問題はそのまま、靖国や英霊の問題に直結する。明治から昭和へ、近代国家としての統一が図られ、国民としての一体性が強調されはじめるその時期に、戦死者祭祀についてこうした「敵/味方」を分断する意識が誕生したという事情は、近代国家の基層にある独特な排他性を示しているように感じられる。

[J0259/220416]