谷口佳子訳、平凡社、1987年。マリノフスキーの死後、1967年に、再婚の相手ヴァレッタによって刊行された日記。日記は、彼が人類学に革新をもたらすことになった、初期の調査に携わっていた時期のもの。

まえがき(ヴァレッタ・マリノフスカ)
序文(レーモンド・ファース)
第1部 1914-15年
第2部 1917-18年
訳者解説
現地語索引
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「現地人とのラポールのもとにフィールドワークを行ったBM」という、偉大なるフィールドワーカーとしてのマリノフスキー像を揺るがすことになり、人類学に衝撃を与えたこの日記。

だが、フラットに読んでみれば、学問への野心を抱きつつ、日々性的衝動に悩む、ごくごく人間的なマリノフスキーの姿だ。たしかに当時は当たり前であったろう非西洋社会に対する見下しがあるにせよ、現地人やその文化に抱く違和感も、むしろ濃密な住み込み調査に携わっていたからこそだろう。

当時の婚約者で、のちに最初の妻となったエルシー・マッソンに対する貞操を誓いながら、現地人に対して湧いてくる欲望に苦しむマリノフスキー。

1918年4月19日付日記、「5時にカウラカへ。愛らしく姿の良い少女が私の前を行く。彼女の背中や筋肉や体つき、足など、我々白人には想像もできない肉体の美しさに目を奪われた。今、この小さな生き物を目の前にして、その背中の筋肉の動きを長々と観察できるような、そんな幸運に恵まれることは、たとえ自分の妻に対してでさえ、まずあるまい。しばしば、自分が原住民でないため、こんな美しい少女を自分のものにできないのを残念に思う時がある。」(374)

この種の性的魅力とそれに対する欲望というものが、実は、西洋人/非西洋人という区分を乗り越えて働いていることに気づく。もちろん、それだからこそ、その欲望達成のために権力をふりかざすことは、人間社会にきわめてありふれたことだが、それは性的なものが有する区分超越的なベクトルに対してなのだなと。富者/貧者、高身分/低身分、主人/家来、雇用者/被雇用者、年長者/年少者など、おそらくはすべての権力関係において、こうしたファクターの介入が生じてきただろう。

[J0297/220917]

国立国会図書館デジタルライブラリー
https://dl.ndl.go.jp/pid/12141195/1/4

宗教に関する「純粋な合理主義との戦い」 98
「くたばれ野蛮人」発言 118
「著名なポーランド人学者になってみせる」 241
現地民の話への嫌悪感 247
「犬の生活も同然だ」 250
「下品な考え」 286、374、397
デュルケームの宗教論について 413
エルシー・マッソンと葛藤 431、440(解説)