改造社、1934年。

ぐわー、たまたま見つけてしまった。島根県「株小作」制度に関する貴重な記述!

恐慌の影響で悲惨な窮乏に苦しむ当時の山村・漁村にあって、「殆ど唯一の例外は島根県」のとくに山村地帯だという(87)。現物経済がなお多くを占める山村地帯では、いまのところは、恐慌による影響が届いていないのだと。

株小作制度については、「それが明治以後の制度であることは確かである」(91)と断言、地租改正・租税の金納化の結果、土地を「地主に預ける」ことにしたのであると(91)。その後、しだいに支配が強くなって、「炭を焼く貧農達は、大きな炭焼資本家達の下に隷従せざるを得なくなってきた」(93)という見立てだ。さあどうだろうか、真偽のほどは分からないが、ひとつの説としてたいへん興味深い。

猪俣津南雄といえば、『労農』の創刊にたずさわった、バリバリの初期マルクス主義者。しかし、この部分しかこの本の内容を確認していないが、きちんと各地を踏破して記録しているところで、たんに教条主義的なマルクス主義者のご高説ではなく、リアルな得がたいドキュメンタリーになっているようにみえる。

いずれにしても、10年前にこの主題で論文を書いたときは見つけられなかったが、その制度が生きていたときの株小作の記述として貴重。

>紙面、国立国会図書館デジタルコレクション

>論文「田部家の語られ方-鉄師の「イメージ」とその形成過程」
(『田部家のたたら研究と文書目録 上』、島根県雲南市教育委員会、2012年)

[J0317/221207]

その後、岩波文庫版を購入して一通り読む。昭和恐慌下における、全国各地それぞれの農家の事情を探って歩いた貴重な記録。文章も、できるだけ平易であることを意識している感じだ。貧農はもちろん、中農や小中地主それぞれの苦労のようすにも気を配っている。

なお、大島清が解説を付していて、株小作の発生が明治以後という猪俣の見解をわざわざ注を付して否定している。その根拠としているのは、1942年島根県経済部「島根県下の株小作」の記述。

[230103]