ちくまプリマー新書、2022年。

第1章 心ってどんなもの?
第2章 脳ってどんなもの?
第3章 心を生み出す脳のはたらき
第4章 心が病むってどういう状態?
第5章 心を守る心のはたらき
第6章 「気の持ちよう」と考えてしまうワケ
第7章 「気の持ちよう」をうまく利用する
第8章 「わたし」ってなんだろう

なるほど。心理的な調子の悪さについて、脳科学的な説明を求めている人には意味のある本なのではないかな。僕はそれ以上のことを求めて読んでいるので、批判的になってしまうが。そもそも、著者が脳科学者としてどういう位置にある人なのか、分からないままに読んでいる。

「脳と心の関係は、コンピュータやスマホでたとえると、ハードウエアとソフトウエアの関係と言うことできる」(37)。「心というソフトウエアのはたらきを知るためには、まずは脳というハードウエアというしくみの理解が欠かせない」(38)。この喩えは僕もよく使う喩えで、以上の言い方には賛同できる。ただし、僕ならこのあと「ハードウエアだけをいくら研究しても、ソフトウエアの働きをじゅうぶんに理解することはできない」と付けくわえるのだけど。なぜこのことをスルーする人が多いのか、むしろそっちの方が理解できない。この一言で、本書への感想は終わるとも言える。

「「いくら気の持ちよう」「病は気から」などと言っても、いくら脳幹に「動け、動け、動いてよ!」と言ったところで、心拍を意のままに動かしたり、止めたりはできない」(55-56)。なるほど。要するには、心理現象の生理的・生物学的基盤ということで、こうした脳神経科学の洞察というのは、「意志の力だけではどうにもならない心理現象がある」とまとめられそうだ。だけん、こうした脳神経科学の称揚というのは、ある意味、理性や意志を決定因に置く啓蒙思想的人間観のカウンターとして理解することができそうだ。このことについては、178ページあたりで著者自身も触れている。

また、この観点からすれば、脳神経科学のもたらす洞察について、「まったく意志や計画をもって働きかけようのない=傾向を知ることしかできない生理的・生物学的側面」と、「意志や計画をもってその働きに影響を及ぼしうる生理的・生物学的側面」とを区別することも有効そうだ。

「シナプス伝達は生体の持っている伝達方式のほんの一部でしかない。したがってシナプス伝達だけを模倣しても、脳のような情報伝達をする人工知能を作ることはできないと考えられる」(65)。その例として挙げられているのは、脳の広範囲調節系のはたらきであるノルアドレナリン、セロトニン、ドーパミン、アセチルコリンである。

ご自分のパニック障害的傾向をやりすごす方法について。「気の持ちよう」を「逆手にとる」のだそうで、「ここぞとばかりに持てる知識を総動員して、我が身に起こっていることは単なる「交感神経系の亢進、ノルアドレナリン!」とか頭の中で唱えながら、なぜかひたすら故郷の海を思い浮かべていた。そうやっていったん冷静になると、鼻からは呼吸ができることに気がついた」(168-169)。

そうそう、脳神経科学に基づいた心理への働きかけには、薬物療養や侵襲的な措置の他に、この種の「冷静な対処」がありうる。ただし、これについては、従来の「精神論」と何がちがうのかを再度検証する必要もあるだろう。このことだけでなく、一言に脳神経科学とはいうが、実際の心理現象との関連づけ方について、そこで提供されている説明の種類やレベルは雑多であって、統一された説明体系にはなっていないことには注意すべきである。

[J0340/230309]