小沢俊夫訳、岩波文庫、1980年。『精霊物語』の発表は1835年から1855年。柳田國男に影響を与えたことで有名な『諸神流竄記』こと『流刑の神々』の発表は1853年。

柳田國男がまさにそうだが、いまこの時代に読むと、たんなる伝承集でもなく、かといっていわゆる研究書ではなく、書物としてのスタイル自体にもふしぎな魅力がある。いつものように「勉強のために」ぺらぺらと読み進めていったが、『流刑の神々』中、ディオニュソスの祭りの伝説の結末は、なかなか衝撃的だった。荒木飛呂彦的岸辺露伴的テイストの、濃ゆすぎる原液。

柳田との関連に触れた訳者解説では、古代の神々の衰頽というモチーフはヨーロッパと日本とで共通している一方で、日本にはより色濃く古代信仰が残っているという理解をしているが、この比較にはもう一点を付け加えておかねばならない。それは、キリスト教の神は圧倒的な崇高さを備えた存在とされるだけに、その反動で、伝承に残る「古代異教の神々」はことさらに淫らで、滑稽で、猥雑なものと描かれがちだということである。日本の場合は、たとえ教義上中心に位置する仏神から外れた神や精霊であっても、その種の脚色や誇張を被ってきた度合いは低い。

そしてまたこのことは、著者のハインリヒ・ハイネの視点に強く影響しているように思われる。たしかにハイネは、共感や郷愁をもってギリシアやゲルマンの古代神の流竄伝を描いているにちがいないが、そこには、誇張された「異教の神々」としての性格に感じる魅力が混入しているようにも思われる。つまり、たとえば奇怪に描かれた魔女は、そうした表象として別種の魅力を持つようになるものだし、いったん「淫らで、滑稽で、猥雑な」ものとして古代神の末路が描かれると、それはそれで暗くグロテスクな魅力を持つようにもなる。

キリスト教以前の古代神やその伝承はおそらく、もっと健康的に「淫ら」であり、もっと素朴に「猥雑」で「残酷」であったと思うのだが、ハイネにはその世界観を捉え損ねているところがある。その世界により直截に迫っているのは、彼に先立つグリム兄弟の方である。

そしてそういうものとして、ハイネのこの書には、グリムの仕事とも異なった陰影がある。内容を忘れかけた頃に、どこか明るくはない旅行先に携えていって、ゆるゆる再読するなんてのも良さそうだ。

[J0355/230416]