副題「未来のための部活講義」、大月書店、2017年。

第1章 なぜ部活は成立しているのか
第2章 部活はいつ始まったのか
第3章 なぜ部活は拡大したのか
第4章 いま部活はどうなっているのか
第5章 部活の政策は何をしてきたのか
第6章 生徒の生命を守れるか―死亡事故と体罰・暴力
第7章 教師の生活を守れるか―苛酷な勤務状況
第8章 生徒は部活にどう向き合っているか
第9章 部活の未来をどうデザインするか

教師の過重労働が大きな問題となってきた中、その根源のひとつとも目されている部活動。その歴史と現状をたどる一冊、もともと著者は『運動部活動の戦後と現在』(2014年)という研究書を出版しており、その成果を盛り込みながら一般向けに書かれたのが本書。部活動という重要でありながら、研究の乏しかった領域に見通しを与えつつ、分かりやすく説明。内容には批判もされているようだけど(2014年本における「資料曲解」の指摘に特化した論文まであるもよう)、社会問題の研究者としてなんと立派な仕事だなと(まったく皮肉ではなく)。『部活動の社会学』の内田良さんたちの調査研究もそうであったが。本書から6年、現実はどこまで変化したのだろうか。部活関係者や文科省の人にはみんな読んでほしいし、こういう本をみんなが読んで議論する日本社会であってほしい。

記述についておもしろいと目に付いたのは、たとえば、運動部活動の活動日は、1950年代に週4日前後だったものが、1990年代や2000年代には週5~6日に増えてきたという話。あるいは、中学生における学校外活動(習い事などか?)への参加は富裕層で盛んだが、部活動は家庭事情に左右されないという調査結果(西島央編『部活動』が典拠)。「この点を忘れて部活を地域に移してしまえば、経済的に豊かでない家庭の生徒が、活動機会を得られなくなってしまう」(81)。

部活動が、よくもわるくも、教育の機会、教育活動そのものになってしまって、それだけに教師や学校から切り離せなくなっているという著者の指摘(110-111)。いやいや、そうなんだよね、たぶん。加えて、部活を嫌う生徒もいれば、部活をやりたがる生徒も多い。軽いしかたながら著者が触れているとおり(246-)、ほんとうにその「欲望」を全部、教員や学校が引き受けるべきなのかという問題がある。

[J0370/230530]