八坂書房、2009年。底本は1965年発行。いまはなき社会思想社の現代教養文庫中の一冊であったらしい。

1 旅する人びと
2 やどのおこり
3 信者の宿
4 行商と宿
5 伊勢の御師
6 江戸を中心に
7 いろいろの宿
8 湯の宿
9 旅のしかた
10 文明開化の宿

宮本常一といえば偉大な旅人として有名であるが、本書の記述も、歩いて旅をするように、急がず淡々と、そうして気がつけば深いところに歩を進めている宮本節。

細かな記述や指摘はやはり、いちいちおもしろい。加えて、まれに宮本自身の考え方がうかがわれる箇所にも目が行く。

宮本の江戸幕府評。
「当時は政治の府としては東に寄りすぎていた上に海上交通に依存することのきわめて少ない土地であった。ほとんどの交通は陸路によらなければならなかった。海に面しておりつつ内陸性がつよく、人々の眼を海の彼方に向けさせることが少なかった。海はむしろ恐るべきものとしてうつった。それが後に海外渡航禁止政策を実施させる大きな要因になる。そして人々の眼を江戸へ向けさせ、また江戸を中心にしてすべての政令が出されることになる。この体制が近世封建制を生み民衆はその枠の中で息苦しい生活をしなければならなくなるのだが、全国統一を完成してさらに徳川という家によって長く政治支配をつづけようとする体制を整えるためにはあらゆる無理が国全体に強いられることになって来る。その中でもっとも悲劇的な無理は人間性の無視である。その愛情が主従関係とか義理によってゆがめられる。主従関係を主にするために、他のあらゆるものが無視せられることになる。
「その中でもっとも人間性を無視したものは人質の制度である。忠誠をちかい裏切をしないしるしに肉親のものを相手方に人質として送ることは戦国時代にも見られたことであったが、それは長くても数年程度のことで、一生にわたることはなかった。ところが幕府はそれを永久化してしまったのである。すなわち大名の妻子を江戸にとめおくことにし、大名を領国と江戸の間を往復させる方法をとった。このことがどれほど大きく日本人をゆがめていったかわからぬ。人間性が無視せられ、権力に対して弱い、しかも海を忘れた民族性が育って来るのである」(129-130)

網野善彦とも仕事をした宮本常一であるが、つまりは、江戸時代と比べれば、それ以前の日本列島の社会は「人間性を無視せず、権力に対峙し、海とともにあった民族性」が見られたと捉えているのである。

田村善次郎氏による解説も興味深い。

「昭和30年代までの宮本先生はいわゆる観光開発にはきわめて否定的であった。経済的に自立度の低い地方が観光資本や心ない観光客に荒らされるだけであると危惧しておられたのである。しかし、30年代の後半からの高度経済成長期を迎え、急増する観光開発や観光人口のありようを直視する中で先生の考えも変っていった。地方がこれを対抗するには、地方自体が生産基盤を拡充し、文化的・経済的に自立できるように努力することが第一であるが、同時に、地方を訪れる人びとが、地方の生活を本当に理解し、仲間として良き相談相手となるような、良い旅人になるような、そういう啓蒙が必要だと考えるようになったのである」(284)

まさに本書がきっかけとなって、近畿日本ツーリストの協力のもと、1966年に宮本常一を所長とする日本観光文化研究所(最初は資料室)が設立され、本ブログでもよく取り上げる神崎宣武氏のような方も育っていったわけである。

[J0410/231014]