朝日新聞出版、2023年。もともとは1969年から『アサヒグラフ』で連載された紀行記事。自分は旺文社文庫版を持っているが、対談その他が加わっているほか、A5版でイラストや写真を堪能することができて、これは買い。

下北半島村恋し旅
東北湯治場旅
北陸雪中旅
四国おへんろ乱れ打ち
国東半島夢うつつ旅
篠栗札所日暮れ旅
秋葉街道流れ旅
最上川、里の渡し舟
放談会 流れ雲旅余聞(つげ義春・大崎紀夫・北井一夫・藤原マキ・近藤承神子)
異空間への旅人・つげ義春(文/大崎紀夫)
鼎談+1 五十年目の「流れ雲」(つげ義春・大崎紀夫・北井一夫・つげ正助)

すばらしい写真、すばらしいイラスト。文章はそのキャプションとして。

つげ単独の著作とはちがって、同行二人の眼を通して、つげ義春の独特な佇まいをうかがうことができる。大崎紀夫の文章や発言と比べてよく分かるのは、つげ義春の場合は、日本の古い村や町を歩いて描いても、ありがちな「ノスタルジー」の投影をしていないということ。そこにつげ義春が与える幻想の現在性と普遍性がある。

つげは、この編集本に新たに掲載された1973年の「放談会」にて、梶井基次郎「檸檬」冒頭の気分が「ピッタンコ」だと述べている。その「檸檬」から。

 何故なぜだかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。
 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂のいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。

「ここがどこなのか どうでもいいことさ どうやって来たのか 忘れられるかな」と歌ったのは細野晴臣だったが。

つげはまた、旅に出る前、三日ぐらい前から緊張すると言って、次のように語っている。「自分の場合は安心して行けないのです。根を持っていないということが逆に自分を日常的なものに縛っている感じがするのです。一人で生活しているとか二人で生活するとかに関係なく、また出かけた後に日常が変ってしまうとかいう心配とも違う、何か恐ろしい感じなのです。だから仲々腰が上がらない。毎度なんです」(302)。

今回、朝日新聞出版社版を買って、改めて旺文社文庫版も手に取ってみたけど、この細身の明朝体が、これはこれで堪らないね。そういうマニアでもないので1971年の朝日ソノラマ版まで持っているわけじゃないけど、1981年当時の再版文庫ならではの「刷り増し」感みたいな味が、たぶんオリジナルより僕的には良い。いずれにせよ、今回の最新版も良いという話。
[J0412/231015]