屋久島の山仕事に生涯をかけ、当地の山や樹にもっとも精通した人物の語り。塩野米松の聞き書き、草思社、2007年。

第1章 山の仕事に出合う
第2章 巨木を動かす
第3章 失われゆく技
第4章 山の中で生きる
第5章 千年、山を守る
第6章 最後の仕事

高田さんは1934年生まれで、調べてみると、2013年に亡くなられたとのこと。2012年、78歳のときまで山仕事を続けておられたとのことで、この本を出されたときはもちろん現役。

凄いのは、丸一冊分、山仕事の話をして、精神論や哲学のたぐいをそれとして開陳するようなところがなく、つねに具体的な作業や山や木の知識の話になっていること。傍観者的な立場からの話がまったくない。

最後の最後のところで、「あんだけの人間がおって、僕は友達ちゅうのはいないんです」という話があって、このようにおっしゃる。

「みんな砕けて話をしようとすれば、酒の話とか女の話とか、無駄話をしゃべって遊んでいるわけだ。僕は仕事の話はするけど、冗談なんか絶対言わない。頭の中に冗談が全然浮かばないんです。そういう知恵が出てこないんですよ。頭の中に、木のことと山のこと、土埋木のこと、あれをどうやって運んだら安全かというようなことしか詰まってないんです。・・・・・・だから、あんな難儀して馬鹿なことばっかりしてちゅうぐらいしかみなさん見らんとですね。僕はもう、一所懸命だから、夢中になっているから、ただそれだけですよ」(245)。

こういう人は好きだ。尊敬できる。

もうひとつ、備忘のメモ。「言い伝えによれば、泊如竹ちゅう屋久島出身の偉い坊さんが安房の本仏寺に帰ってきたとき、それまで島の者が神木ちゅうてヤクスギをだれも伐らないでおったものを、木の前にヨキ(斧)を立てかけておいて朝までそれが倒れなかったら神の許しが出た木であるから伐ってもいいと告げたというんです。如竹が生まれたのは一五七〇年だとか。僕は山を見てきて、如竹が生まれる前から島ではヤクスギが伐られているちゅうことは知ってるわけです」(167)

[J0436/231215]