フランス革命期における人びとの集合心性の問題をとりあげた、1932年の古典的論文。二宮宏之訳、岩波文庫、2007年。
序論
1 純粋状態の群衆、または「集合体」/「半意識的集合体」/「結集体」への突然の変容
2 革命的集合心性
3 「集合体」ならびに「結集体」の固有の作用
結語:カギとしての「集合心性」
とくに焦点となっているのは、「大恐怖」とも呼ばれる、革命初期に生じた農村での群発的蜂起のことである。革命の意識にめざめた人びとが立ち上がることでこうした動きが生じたという見方に対して、ギュスターヴ・ルボンは、行動の感染によって形成された「群衆(foule)」 の集団心理にそれが起因するという見方を提示した(『群衆』1895年および『フランス革命と革命の心理学』1912年)。
このふたつの見方のうち、ルフェーヴルの見方は、後者に近いようにみえるが、そうでない。ルフェーブルは、集団が「動物的」あるいは本能的な行動をとるというルボンの見方を否定して、日常生活における夜の集いの語らい・ミサ・祭りといった場面での心的相互作用が特定の「集合心性」を形成し、それが蜂起の際に働いたという第三の見方を提示している。
彼は、こうした集合心性を共有した人びとの集まりを、ルボンのいう「群衆(foule)」 と区別して、「結集体(rassemblement)」と呼んでいる。ルボンの集団的行動パターンとは異なり、ルフェーヴルの集合心性は歴史的に形成されるものであるところにポイントがある。この見方は、その後の「社会史」の流れの基本線になっていると言っていいだろう。
なお、ルフェーヴルは「行動の伝染」が存在すること否定してはおらず、行動の伝染や集合心性の形成について、メスメリズムの語を援用して「生理的磁気作用(magnétisme physiologique)」 といった表現を用いてもいる(p. 64)。これら集合心性の働きは、深層心理学における深層心理概念に例えると理解しやすいだろう。深層心理と同様に、集合心性は、その人がそれと意識しない領域で、人の行動を決定的に左右している事象であると言える。
集合心性の内容面での議論では、「平準化(nivellement)」 の話がおもしろい。これはある種のステレオタイプ化の働きである。「ひとひとりの農民が、それぞれの特別の事情で背負わされていたかもしれないような苦情の種が、全部ひっくるめて領主の責任とされるようになり、さらにそれがすべての領主の属性と考えられるようになっていく」(41)。「抽象化によって「典型的領主」なるものが構成され、その結果、個々の領主の個別的な特徴は次第に捉えがたくなるのであり、たとえある領主が個人としては穏健な面や寛大な性格を示していても、それを次第に考慮しないようになってゆくのである」(41-42)。
他方で、苦しむ階級については、楽天的で有徳の存在としてイメージされがちであると。「そのようなわけで、社会的善を実現し人類の幸福を保証するためには、敵対階級を根絶しさえすればよい、ということになる」(46)。
分量としてはごく小篇だが、いろいろと、想像の膨らむ議論である。とくに、集合心性の形成に関する日頃からの「語らい」や「集い」の重要性について、フランスに対する日本はどうだろうか、とか、あるいはネット時代にそうした「語らい」や集団心理のありようはどうなるだろうか、などなど。
[J0449/240108]
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