副題「高齢化する障害者家族」。同じ著者の『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書、2023年)とはまったくちがったテイストの本で、障害者の子どもをもつ高齢の親たち(とくには母親)の生活や心理を、ご自分の経験も交えつつ、インタビューをもとに記述する。大月書店、2020年。

第1部 これまでのこと
 1 障害のある子どもの親になる
 2 重い障害のある子どもを育てる
 3 専門職・世間・家族
 4 「助けて」を封印する
 5 させられる;支えられ助けられて進む
第2部 今のこと
 1 母・父・本人それぞれに老いる
 2 多重介護を担う
 3 地域の資源不足にあえぐ
第3部 これからのこと
 1 我が子との別れを見つめる
 2 見通せない先にまどう
 3 親の言葉を持っていく場所がない
 4 この社会で「母親である」ということ)

夫や舅姑との関係の問題、介護をしている親自身の体の不調、医師からのちょっとした一言から受ける衝撃、子どもの将来の死に対する複雑な思い・・・・・・。経験を物語じたてにすること、人に特定の役割を収めて理解してしまうことを注意深く排しながら記述された日常の話は、どれもリアル、どこまでもリアル。

とくに印象に残ったのは、クマザワさんの話(148-150)。3ページほどの記述なのだけど、なにか凄味のある言葉、凄味のある人。(内容はここには書かない。)

少なくとも今の社会体制のもとでは、障害をもつ子どもが生まれてきたら、そこから「障害のある子どもの親」としての人生がはじまることになる。それが不幸一辺倒だというわけではない。また、だからといって苦難に満ちた現状を追認してすむわけではない。本書の記述は、この両極の振れをこそ辿っている。

読みながら、なんとはなく「津波に遭う前の生活は前世のことのようだ」という東日本大震災の被災者の言葉を思い出していたが、本書の終盤で、まさにその表現を本書著者も用いていた。「私自身にとっても海〔お子さんの名前〕が生まれるまでの人生の記憶は、その後と比べると「前世」と「現世」の違いほどに希薄に思える」(176)。もっとも、本書著者はその違いを「生きた時間の濃密さ」の違いとして述べていて、断絶としてだけ描いているわけではない。突然に生じた「それまでの生活やライフプランとの断絶」という面はたしかだとしても、誕生と喪失とでは天と地の違いであって、「現世」に「前世」以上のかけがえのない価値があることを著者らは確信している。

[J0450/240111]