これは好著、めちゃめちゃ勉強になる。著者自身が説明しておられるとおり、「イスラームだから」「中東だから」という文化本質主義の立場を遠ざけながら、中東政治の動態に見通しを与える。したがって、適用範囲を中東地域にかぎることのない、国家政治・国際政治のダイナミクス一般に関する視角をも与えてくれる一冊となっている。ちくま新書、2020年。

第1章 国家―なぜ中東諸国は生まれたのか
第2章 独裁―なぜ民主化が進まないのか
第3章 紛争―なぜ戦争や内戦が起こるのか
第4章 石油―なぜ経済発展がうまくいかないのか
第5章 宗教―なぜ世俗化が進まないのか
終章 国際政治のなかの中東政治

中東における国家の不安定性は、その「人工性」の高さによるという。

「なぜ、独立後の中東諸国に独裁が横行するようになったのであろうか。その鍵は、国家としての能力と正統性にある。軍事と経済の両面での旧宗主国への依存から脱却できなかったこと、つまり、ポストコロニアルな支配が続いたことは、次の二つの面で独立後の新政府に大きな課題を突きつけた。第一に、徴税と課税からなる収奪国家としての近代国家の能力が不十分なままに置かれ続けたこと。第二に、植民地国家の時代からの正統性の問題がくすぶり続けたことである」(63)。

ベンジャミン・ミラー「国家と国民の不均衡」論から(158-159)。民族(アラブ人など)の定義と国家の枠組みのずれが、問題状況を生じせしめる。あるいは、国家を持たない民族や民族を持たない国家が国民統合を阻害するパターンも、中東ではしばしば。これらの「ずれ」の状況は次に、修正主義の動きを生む。それは、国家による侵略・併合である場合もあれば、非国家的な主体による修正主義運動というかたちを取ることもある。

アラブ世界における国家建設の理念には、三種がある(163)。すなわち(1)民族に基づいた属人的な民族主義(カウミーヤ)(2)郷土を単位にした属地的な国民主義(ワタニーヤ)(3)イスラーム法にしたがった国家建設をめざすイスラーム主義であり、「この三つの国家建設の理念は、それぞれ国民、領域、主権のどれを最重要視するかという点に違いがある」(164)。

イスラームと過激派との結びつきについて。

「1970年代には、イスラーム復興の気運を追い風にして、中東諸国で無数のイスラーム主義運動が結成された。当時、ほとんどの中東諸国が「名目的な宗教国家(世俗国家)」ないしは「非宗教国家(世俗主義国家)」であったことから、イスラーム主義運動は各国で反体制運動としての「定位置」を占めることになった・・・・・・。しかし、中東諸国は権威主義体制の「宝庫」であったため、イスラーム主義運動は、選挙や議会を通して自らの要求を自由に訴えることができず、厳しい取り締まりや激しい弾圧の下での活動を余儀なくされた。その結果、体制に対する武装闘争も辞さない過激なグループが生まれることになった」(261-262)

オスマン帝国解体後の「人工的な」国家形成といい、イスラエル問題といい、結局、西洋列強が諸悪の根源であって、イスラームの「過激化」もまたこうした状況の産物であるとの印象が強い。

もうひとつ自分用にメモ、中東諸国の政教関係について。

「政治学者J.シュウェドラーは、ほとんどすべての中東諸国が「宗教の公的な地位を定義している」ことから「宗教的」であると述べている。ただし、その内実には違いがあり、「実質的な宗教国家」と「名目的な宗教国家」の二つに大別できるという。「実質的な宗教国家」は、「政治、社会、経済の諸問題への宗教法の完全な適用を重視する国家」であり、サウジアラビア、イラン、イスラエルが該当する。・・・・・・「名目的な宗教国家」には、宗教の公的な地位について、①「支配エリートが預言者ムハンマドの直接の血縁であることを根拠にした権威を主張する」場合、②「憲法がイスラームに国教とする公的地位を与える」場合、③「憲法が元首はイスラーム教徒でなくてはならないと規定する」場合の三つのタイプがある。①はヨルダンとモロッコ、②はサウジアラビア以外の湾岸アラブ諸国、エジプト、リビア、イエメン、イラク(2003年まで)、③はアルジェリア、チュニジア、シリア、オマーンが該当する。これらの国は、国家のアイデンティティを宗教に依存しているものの、政治過程や立法過程、司法において宗教の影響は制限されているため、実質的には政教分離がなされている。そのため、中東政治学では、世俗国家と呼ばれることが多い」(243-244)

[J0470/240519]