ベジタリアンやヴィーガンを倫理学の側面から考えるのによい。啓発的な内容で、この本を読んでしまうと、肉食がしにくくなってしまうかも。僕はまだそこまで「回心」できないが。クセを感じる箇所もあるが、勉強になる。集英社新書、2021年。

第1章 なぜ動物倫理なのか
第2章 動物倫理学とは何か
第3章 動物とどう付き合うべきか
第4章 人間中心主義を問い質す
第5章 環境倫理学の展開
第6章 マルクスの動物と環境観

前半は、功利主義、義務論、徳倫理という三つの立場から、動物倫理の基礎を検証する。動物倫理学の創始者といえばピーター・シンガーだが(というか、僕はシンガーしか知らない)、彼の立場は功利主義の立場から、動物の苦痛を問題にするものだという。ただ、そうだとすれば、苦痛を感じさせないように動物を利用・搾取することは問題ないという解釈も排除しきれないので、カント的な義務論を動物に応用することや、徳倫理を適用することが選択肢に入ってくるのだという。

マルクスの専門家ということもあり、後半で動物倫理学に対するマルクス思想の可能性を論じているところも興味深い。人間の商品化が問題化するマルクス思想は、とうぜん、動物の商品化の批判にも通じている。また、マルクスは唯物論の立場から、人間と外的自然を連続的に捉えることによって人間を自然的存在と見なしたのであり、観念論的な心身二元論と、それに基づく環境に対する人間中心主義を克服する可能性を有しているという。

やはり、これら現代の動物倫理学も西洋の思想界がリードしている。思想的基礎を固めて人間中心主義を押しすすめるのも西洋だが、こうして原理的な反省を進めるのもまた西洋である。日本人として、「原理」を全面に掲げる西洋的やり方に反感を持つ人たちの感覚もよく分かるのだが、だからといって、口先だけのアニミズム称揚や自然賛美をしながら、肉でも魚でも、絶滅危惧種までなしくずしに取ったり食べたりする日本社会のあり方も肯定できない(自己嫌悪)。

動物倫理学は、あらためて「人間とは何か」という問いを突きつける。日本ではよく、動物愛護・自然愛護に対する冷笑の一種として、「そもそも愛護を語ること自体が人間の慢心」的な言説がなされたりするが、やはりそれはそうではない。動物に苦痛を与えるか与えないかを選択できるのは、やはり人間ならではの条件である。動物が動物を捕食するのとはわけがちがう。一方で、動物を愛護する根拠のひとつは、「人間も動物も同じ感覚的な主体である」という見方である。だとすれば、人間を特別視し、人間独特の責任を認める見方と、人間と動物を本質的に同じ存在と捉える見方と、両者をミックスしたところに動物倫理学は成立しているということになるはずだ。
[J0472/240521]