副題「江戸の宗教美術とアニミズム」、ちくま学芸文庫、2015年。原本は『遊戯する神仏たち』、2000年。

1 日本美術に流れるアニミズム
2 変容する神仏たち―近世宗教美術の世界
  謎多い遊行僧円空にひかれて
  木喰と東北・上越
  野に生きた僧―風外慧薫の生涯と作品
  近世禅僧の絵画―白隠・仙厓
  白隠“半身達磨像”(永明寺本)
3 浮世絵春画と性器崇拝
  北斎の信仰と絵
  北斎晩年の“ふしぎな世界”
4 天龍道人源道の仏画

巻頭論文「日本美術に流れるアニミズム」が発表された1995年はそれが流行だったからか、というか、この論考自体が梅原猛古希記念論文集であったみたいだからこの概念を使っているのだろうけど、この種のアニミズムの用法は超歴史的すぎてやっぱりいただけない。ただ、実はアニミズムを論じているのはこの論文だけで、副題の付け方がおかしい。アニミズムのことは措いて、江戸の宗教美術論として十分に面白い。

仏教美術を渉猟するなかで得た、著者の江戸時代観が興味ぶかい。

「日本の宗教史の記述は、従来近世の宗教なかんずく仏教を、「世俗化」という概念でとらえてきた。それを精神史の文脈でとらえれば「衰退」にほかならない。….. 僧の堕落と幕府の宗教統制――この二つによって、仏教、神道を柱とする江戸時代の宗教は、無気力、低俗で創造性を欠くものとなったといわれる。だが、そのような見方は実は一面的なものにすぎない。近世の宗教は、たしかに民衆のレベルまで自らを下ろすことによって、貴族宗教であったときの高貴な聖性をうしなったのだが、それを俗化ということばで片付けるにしては、近世の宗教はあまりにも多様な活気に満ちている。」(42-44)

「近世の文化は、現実肯定の上に立った世俗文化といわれ、それが、中世文化と違う点だとされる。だが実際には、近世の精神文化は、近代・現代のそれにくらべると、はるかに仏教に依存したものだった。都会での僧侶の世俗化と堕落が批判される一方で、地方にはほこりにまみれ垢じみた僧衣をまとう遊行僧の姿があった。」(96)

「近世美術のなかで馬齢を重ねるにつれ、それが意外に宗教性の強いものであることを思い至るようになる。古代、中世にくらべ、彼岸への往生よりこの世での利益を求める傾向はたしかに増しているとはいえ、人びとの日常生活と神仏との交わりは、現代とはくらべものにならないほど深く親密であったことに気付くのである。」(237)

「円空・白隠など本書にあげた画僧や修験僧たちの活気と個性、それにユーモアあふれる仕事ぶりを見ると、低迷という言葉がむしろそらぞらしく、逆に意欲的であったというべきだろう。」(240)

「活気」という言葉が印象的。

[J0483/240713]