副題「ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形」、光文社新書、2022年。

序章 大いなる違和感
第1章 早送りする人たち:鑑賞から消費へ
第2章 セリフで全部説明してほしい人たち:みんなに優しいオープンワールド
第3章 失敗したくない人たち:個性の呪縛と「タイパ」至上主義
第4章 好きなものを貶されたくない人たち:「快適主義」という怪物
第5章 無関心なお客様たち:技術進化の行き着いた先

インターネット時代におけるZ世代の感性を説明して、いちいち分析に説得力があるところが衝撃的なレポート。

「普段から本を読まない人ほど、「この一冊で、ことの本質を言い切った系の本」が大好きだ。「これさえ観ておけばOK」のリストを求めるタイパ重視の人達と似ている。この種の人たちは「友人に共感しなければ」と焦り、個性のための趣味が欲しくてオタクに憧れるが、無駄は排したい。その結果、チートを求める。これらが行為として現れたのが、倍速視聴であり、10秒飛ばしであり、ファスト動画の存在であり、「観るべきリストを教えてくれ」という要望だ。彼らを「けしからん」と説教したり、「つまらない奴らだ」と憐れんだりするのは簡単だが、そう説教したくなる年長世代が若かりし頃には、キャリア教育の圧もSNSもなかった。もうひとつ同情すべき点がある。今の大学生には時間とお金がない」(175)。

「作品を主体的に鑑賞して解釈するのは「観るプロ」に任せる。「消費者」たる自分たちはプロの解釈や考察を聞き、観るべきポイントを先に教えてもらう。美術館や歌舞伎の音声ガイドのようなものだ。その上で安心して観る。ネタバレサイト、考察サイトを視聴前に読み込んで「正解を知りたい」勢は、このようなゲーム実況の視聴者に重なる。ゆめめ氏の「文脈を汲み取れる自信がない、私には評価できない」が思い出される。彼らは作品の鑑賞者ではなく、コンテンツ消費者に――むしろ積極的に――徹したいのだ」(267)。

コンテンツ消費について、表層的インスタント的にという志向自体は、とくに今日的現象というわけではない。きわだっているように見えるのは、自己の開示や他者との関わりに関する志向の変容だ。「消費者的態度」のなれの果てというか。実際、消費者である分には特別問題ではなさそうだが、人間はつねに消費者ではありえないわけでね。現代日本では、権利意識一般が消費者としての権利意識と「誤解」されているような気がする、と今思いついた。

[J0484/240713]