副題「仏教の宇宙観」、ちくま学芸文庫、2023年、原本は講談社現代新書で1973年刊。

1章 人間は宇宙をどう把えたか
2章 仏教の“地獄と天界”
3章 極大の世界と極微の世界
4章 仏教宇宙観の底を流れるもの
5章 西方浄土の思想
6章 地獄はどう伝えられたか
7章 仏教の宇宙観と現代

解説の佐々木閑氏の整理では、本書は次のような四部構成になっている。(1)アビダルマ仏教『倶舎論』の仏教的宇宙観の紹介、(2)浄土信仰の土台である極楽の考察、(3)地獄の考察、(4)著者の仏教論。佐々木氏いわく「第一部は驚異的に面白い。第二部は見晴らしの良さに心が躍る。第三部は緻密な考察に感心する。そして第四部では定方晟という学者の心意気が分かる」(218)。

本書を読めば、仏教を理解するには、当然のことながら、日本を離れてインドの思想や宗教風土を踏まえる必要があるということ、さらにそのインドの仏教や宗教も、中東や地中海世界の影響のなかにあったことを教えられる。

「インドとギリシアで、ほぼ同時代に輪廻の思想が流行しだしたという事実は、われわれに驚きと迷いを感じさせる。二つの輪廻の思想のあいだに、借用関係はないのだろうか。ギリシア方の伝説に、かつてディオニュソスがインド遠征に赴いたという話がある。・・・・・・ここで注意しておきたいことは、ギリシアにおいて輪廻するのは、実体としての霊魂であるが、仏教においてはそのような霊魂の存在が否定されているということである」(137-138)

『倶舎論』では地獄は説かれているが、極楽は不在である。極楽の観念は、後年展開してきたものである。著者は、浄土思想史の中にも、キリスト教の影響があったことを想像している。諸説がある中で、岩本裕氏などは、「極楽(スカーヴァティー)」とはユダヤ教の「エデンの園」に由来すると説いているらしい。これに対して著者は、「私はこの「エデンの園」極楽起原説に対して、エジプトの「アメンテ」思想とギリシアの「エーリュシオン」の思想が、「極楽」の思想に結びつかないかと考えている」という(150)。極楽の描写に東西の共通性が見出されることのほか、クシャーナ王朝にギリシャ愛好者がいてギリシャ文化の影響が見られることがその根拠として挙げられている。

もともとバラモン教の神であったエンマ(yama)は、『倶舎論』では、須弥山の上空に居住していた。ここでも著者は、「エンマが地獄の主になっていったのは、仏教の地獄思想に審判の思想が入りこんできた結果、その論理的要請によるのではないか」と推測している(165)。そしておもしろい評、「仏教は小乗・大乗をとわず慈悲の精神でつらぬかれている。そこで仏教は外部から審判者の思想が入りこむとすぐ、この凄絶な思想を、慈悲の精神でやわらげようと動きだす。すなわち、審判者エンマは実は地蔵菩薩の化身であるということになった。エンマは本当に怒っているのではない。それはなんとしてでも衆生を救わんがためであり、方便なのである。衆生によっては、地獄の厳しさを教えることが、輪廻から脱する気持を促がすことになるかもしれないというのである」(181)。

著者はまた、「三途の川」のアイディアについても、ギリシアやイラン、中国の影響があったことを想定している。

[J0493/240731]