河出書房新社、1984年。もともと雑誌『あるく・みる・きく』に掲載されていた紀行文を元に、調査を重ねて書かれた書。副題、「テキヤ行商の世界」で、「わんちゃ」すなわち茶碗の行商人、利兵衛のライフヒストリーを中心に、テキヤの世界を活写する。

本書が出版された昭和59年と言えば、もう高度成長も経過して、経済大国日本を称していた頃。それでもまだ、こういう世界の跡をたどることができたのだな。利兵衛への聞き取りは昭和52年という。そのとき利兵衛は85歳というから、1892年頃生まれだろうか。

宮本常一ゆずりの、抑制の効いた、しかし確実にその世界の細部に迫る視点が素晴らしい。いや、宮本ほど個性的ではないかもしれないが、あえて一歩ひいてテキヤの世界の記述に徹しつつ、バランスの取れた周辺情報への目配りを欠かさない姿勢は、ある意味では宮本のもの以上に役立つ仕事とも言える。そして、一級の生活民俗や社会史の学問的記録でありながら、ずっと読んでいられる、この世界に浸っていられる、この感じ。ひそかに神崎氏の追っかけ(?)をしている身としては、『峠をこえた魚』のときと対象との距離感がちがっていて、それより一歩二歩引いた場所から記述しているところもおもしろい。

テキヤの世界については、その平等主義が印象に残る。「わしらは、親分も若い衆もひっくるめてダチ(仲間)という気分が強い」(36頁)。一家の親分と若い衆の関係も、商売に関しては同等だという。テキヤ社会には世襲制度がない。上納制度もない(!)。組織からの脱退にすらとがめがない。

著者が聞きとった利兵衛の話によれば、テキヤにとっては特に大事なことは三つ、「バヒハルナ」「タレコムナ」「バシタトルナ」。「バヒハルナというのはバイヒン(バヒ=売上金)をごまかすな、ということじゃ。タレコムナは、ダチを売るな、密告するなということ。バシタトルナというのはダチの女房をコマすことをするな、つまり、女犯禁止であるわのう」(38頁)。

[J0057/200713]