岩波現代文庫、2020年、原著1993年。

第一章 企業中心社会の変革のために――いま必要な視角
1 生活大国五か年計画の不人気をさぐる
2 いま必要な視角はなにか

第二章 企業中心社会の労働とジェンダー
1 性別賃金格差と性別分離の指標
2 性別賃金格差と性別分離の理論
3 パートタイマー化と性別分離
4 下請制と性別分離
5 無収入労働におけるジェンダー関係

第三章 企業中心社会の再編――産業構造の変動とジェンダー関係
1 二つの女子労働論から
2 産業別雇用構造の再編と性別・年齢階層
3 職業構造の変化と性別・年齢階層
4 雇用の女性化に見る日本の特徴


第四章 企業中心社会の総仕上げ――「日本型福祉社会」政策の展開1 社会保障制度の「基本的骨格」をめぐって
2 企業中心社会と社会保障制度の形成
3 一九八〇年代の社会保障制度「再構築」――企業中心社会の総仕上げ
4 結論――会社人間にさようならするために

付論 社会政策の比較ジェンダー分析とアジア
なにを明らかにし、どう歩んだか――岩波現代文庫あとがきにかえて

バブル経済最盛のころに、日本の企業中心社会や「日本型福祉社会」政策の盲点――すなわちジェンダー的歪み――を、経済的・制度的分析を駆使しながら指摘する。『厚生白書』昭和61年版の認識に読み取っている「家族だのみ」「男性本位」「大企業本位」は、日本社会全体の特徴であり、しかも2020年現在も根本的には変化していない。

バブル経済当時は、あるいはこうした指摘はたんなる女性という立場からの異議申し立てに受けとめられたかもしれないが、今となってみれば、それはたんなる平等・不平等という社会正義の問題にとどまらず、実際に極端な少子化として日本の経済的構造そのものの弱点であったことが証明されている。著者が本書の出発点としてこだわっている1987年札幌シングルマザー餓死事件は、いまならもっとリアルに感じられるだろう出来事だ。

1980年代後半は、日本のGDPは世界2位であり、そのうちアメリカを抜いて1位になるという予測もあったらしい(278)。無理を利かせて先進国に肩を並べ、そのうち疲弊して持たなくなる・・・・・・。敗戦と同じパターン。

著者が抉り出す「家族だのみ」「男性本位」「大企業本位」という日本社会の特徴は、戦後を通じて共通しているが、このような唯一(?)のただし書きもある。「ただし、高度成長期の政府が、実績はともかく理念としては「福祉国家」を掲げ、西欧先進福祉国家に追いつくことをとなえていた点を、軽視してはならない。この点がつぎの石油危機以降の時期とは対照的なのである」(207)。こういった社会的努力の基盤についても、考えてみたいところだ。

本当言うと、まだ斜め読みで、書評をする段階でもないのだが、この種のテーマについては、ずっと気になっていることがある。それは、労働にせよ、家事にせよ、あるいはケアにせよ、その労苦としての側面と、楽しみとしての側面と、両方を適切に認識しなくてはならないのではないかということだ。ジェンダーギャップの制度的・政治的批判としては、労働・家事・ケアは、賃金があてがわれるべき労苦として扱われるし、たしかにまずはそうしなければならない。また、労働・家事・ケアには労苦には尽きない面があるという指摘は、容易に搾取に悪用されるうるのも確かだ。それでもなお、現実生活の動態を直視し分析しようとするならば、その両面のはざまで人々が生きていることも確かではないかと思う。

また、著者は日本社会の分析のすえに、「日本人の家庭生活は「淋しい」と形容されるほかはない。「会社人間」と「内助の妻」の共生は淋しいのである」と述べ、そうして「守るべき「生活」の実際はいったいどこにあるのだろうか」と問いかける(119)。すごく分かる。すごく分かるが、もはやそうした「生活の実際」がどんなものであるかさえ見当が付かなくなり、それでもそれなりに生きている現実もある。長年こうした社会構造が維持される根本的理由のひとつもそこにあり、テイラーの言う社会的想像になぞらえていえば、それはいわば生活的想像の問題である。私たちはそうした「人間的生活」――はしがきで書いているように、筆者がドイツのライフスタイルに感じたような――の存在や入手可能性を十分に信じられていない。こうした現実を肯定するつもりはまったくないが、これもまた現実なのだ。

[J0109/201209]