平凡社新書、2012年。ニューメディアになじんだ新世代を扱った本はすぐに古くなってしまうし、また印象論以上のものではないものが多い。この本が扱っている時代もたしかにもう一昔前になってしまったが、しかしこの一冊は今なお読む価値がある。調査の方法論のところは読み飛ばしたが、全体にしっかりした考察で、考えるタネになる。デジタルネイティブ論批判とかにも言及していて(45-48)、少なくとも『デジタルネイティブが世界を変える』なんかよりはぜんぜんいい。

 序章 アラブの春はソーシャルメディア革命だったのか
 第一章 デジタルネイティブへのアプローチ
 第二章 デジタルネイティブの形成と動態
 第三章 社会的コミュニケーション空間の構造と変容
 第四章 不確実なものを避ける日本社会
 終章 「安心志向のジレンマ」を克服するネットワーク社会へ

ひとつ勉強になるのは、時代背景の整理で、情報ネットワークの4つの波(13-)、日・米ともに画期としての1995年(88-89)、世代別経験の整理(96)など。あるいは、デジタルネイティブ第1世代から第4世代の特徴(137)。

2011~12年の東京都在住者と長野県在住者の比較調査から、地方の方が流行の影響を凝縮した形で受けているという。「本調査に関する限り、情報ネットワーク行動において地域差はない。それは東京一極支配ということでもあり、東京圏の磁場がいかに強力かということでもあるが、ネットがそれを促進することは否めない」(102)。

2002年出版した結果らしいが、大学生のオンラインパーソナルコミュニケーションについて日韓フィンランドを比較すると、日本の大学生は(a) 携帯電話はメールが中心で、音声通話利用は限定的、(b) チャット、インスタントメッセンジャーなどの同期的ツールの利用が相対的に低い、(c) 自ら情報発信が限定されていて、日記の割合が高い、(d) 自己開示が少ない、という特徴がみられたという。

この特徴について「対人距離感と空気を読む圧力をレベルを作りだす人々の相互作用により形成されてきた」として行っている著者の分析が秀逸。まず、音声通話利用の限定性は「空気の読みにくさ」に由来するという。また、ケータイメールというメディアもまた次第に「空気を読む圧力」を強め、日記への志向を促したという。

「こうしたウェブ日記は、ケータイメールよりもさらに、心理的距離が遠い対人関係の表現であり、日侵襲的で迂遠的なコミュニケーションと捉えることができる。つまり、ウェブ日記は、不特定の他者に自己の存在を知ってもらい、生活や心情を伝えるためではない。それは、親しい友人・知人はもとより、電子メールを頻繁に送るほど親しくはない既知の知り合いを潜在的読者として(既知である以上、自己を特定する情報を開示する必要はない)、近況を伝え、多様化する社会的現実において、一定の間主観性(社会的現実に関する認識の共有にもとづく主観性)を創り出すコミュニケーション手段なのである」(168)

「オンラインコミュニケーションと対人関係に関する協力者たちの振る舞いと感情に立ち入ってみると、対人距離感を構成し、その距離感の調整に大きな役割を果たす要素として、「親密さ」「親しさ」とともに、繰り返し現れてくるのが「テンション(の共有)」である」(183)。「相手のテンションが同じ程度でないと迷惑だと感じるのではないか」という「空気を読む圧力」と、「テンションの共有」を求める欲求とのアンビバレントな態度も現れているという(185)。

そこで現れたツイッター。「それは、まず、従来のオンラインコミュニケーション空間の特徴である「場」、会話の「キャッチボール」というメタファーを解体する。そして、この解体により、親密さと結びついた「空気を読む」圧力を回避し、「絡む」「テンションの共有(シンクロ)」によるつながりを生み出しているのである」(205)。たとえば、ツイッターは返事も要らない。

また、著者は調査結果として、日本社会における強いインターネットへの不安感、低い社会的信頼感、高い匿名性志向といったことを指摘して、情報ネットワークの力を活かす障害になる可能性を指摘する。このことは、山岸俊男さんの有名な指摘と軌を一にするし、また実際2020年現在でも強く感じられる傾向である。

ごく最近、若者がLine離れを起こしはじめて、InstagramのDMでやりとりするようになってきたという話を聞いたが、たしかにLineはかなり「空気を読む圧力」が強いツールではありそうだ(もっとも、本書著者の見方のポイントは、特定のツール自体が空気を読ませる圧力を備えているのではなく、普及に従って次第に醸成されたりなど、変化するものだというところである。ここアンダーライン引いてもいいくらい)。Facebook は匿名性の低さがネックというのは前々から指摘のあることで、中年層でもFacebook はビジネスユースに特化しつつある。一方、Twitterは、若者のあいだでも盛んに利用されているらしい。

本書の分析視角は、出版後2012年以降、今日にいたる日本社会に独特のSNSの動態をおそらく十分に説明できるだろうと思う。だからこの本は、日本人論の一種でもあるのだな。

[J0108/201205]